浜 降 祭 今 昔 物 語  <新聞記事から見た浜降祭> 

浜降祭の盛衰を新聞記事から追ってみました。調査の動機は、今昔物語に書いた事柄の裏づけを
とりたかったことと、いつから掛け声が「どっこい」になったのか?昔の衣装はどんなものだったか?
等だったのですが、昭和30年ごろから浜降祭が復活した昭和50年代までの新聞記事を追っていた
ら、浜降祭の浮き沈みや、意外な発見がありましたので、ここで皆さんにご披露したいと思います。

(資料は新聞切抜きその他と茅ヶ崎に関する新聞記事を集めた「茅ヶ崎市史 現代5&6 新聞集成�U 市民の表情)

§濱降祭§ 新聞の見出し50年  
最新更新日 2004.12.04(新設;2003.06.16)
「詳細記事」と記載のある記事は【こちらから】
年月日 見 出 し と 記 事 の 概 要 (文章は新聞記載のまま) 神 社 神 輿 人 出 かけ声
S20年
1945
 S20年〜S23年は茅ヶ崎市史に浜降祭に関する記載なし。終戦と戦後の混乱でお祭りは関心事の外で新聞
記事も無かったのだろうか?それにしてもこの年によく濱降祭をやったものだと思う。 7月15日前後の記事
は戦争中を感じさせるに十分なものである。例えば次のような記事が見え、16日には茅ヶ崎も空襲され次い
で平塚が大空襲を受けている。
7月11日(朝日)

再編の機動部隊近接す
  艦上機延八百機
関東全域へ波状攻撃

7月18日(朝日)
懸命の偽騙行動
小田原、茅ヶ崎、辻堂襲う

 16日午後十一時半ごろ、約二時間にわたり藤沢町、辻堂、並びに茅ヶ崎の工場、軍事施設を狙って焼夷
弾、爆弾を・・・・・省略・・・・・。 

陸軍の兵隊が浜降祭に奉仕
 S20.7.15は終戦直前だが浜降祭は行われている。
「浜降祭と寒川」の展示資料(2002年開催「浜降祭日誌」)によると、時局柄、参加が困難と中止を届け出る神
輿が多いなか、寒川神社の神輿は、当時寒川に駐軍していた陸軍戦車隊の兵隊たちの奉仕により
出輿して
いる。

 社頭から鳥井戸までの往復を兵隊が、鳥井戸から南湖浜までの間を氏子青年が担いでおり、兵隊の奉仕
がなければ担ぎ手がいなかったことがわかる。
・ ・ ・ かけ声は
新聞記事より
S24.7.16
1949
神奈川
 盛大に 「浜降祭」 茅ケ崎海岸・人で埋まる
 茅ケ崎市、寒川、小出 二ヶ町村合同の第1回カーニバルは、15日相模名物浜降祭を期して開幕された。
 市中は前夜から大賑わいで、
寒川神社神輿を茶屋町に迎えて、未明の4時過ぎ全市の神社神輿が次から
次へとくりだし、淡い月光の下に海岸への道路は何処も人波に埋まり、東の空からのぼりはじめた太陽に富
士山がくっきりと姿を見せるころ、海岸一帯は5万を越える人々で埋まった。

 やがて大小の神輿は若人の肩にのって砂丘に舞い、ナギサをかけ観衆をうならせた。一方カーニバルの
仮装行列はこのとき群衆を分けて浜辺をねり歩き・・・省略・・・。
 祭典は九時半から古式にのっとり執行され、夏祭りの豪華版”暁の祭典”を終わった。かくて再び神輿は浜
辺を乱舞して仮装行列とともに町の中へくりこみ駅前広場で仮装コンクール審査発表と授賞式を行った。
 また午後一時からと六時からは茅ヶ崎小学校講堂で霧島 昇、渡辺 はま子、三亀松、綾太郎などの芸能
大会が催されて満員の・・・・・以下略


気付いたこと
同時に仮装行列や芸能大会が行われ、町全体のお祭りだったようだ。
私が初めて濱降祭へ行ったのは昭和27年でピエロや女装の人が担いでいる記憶があるが仮装行列だった
のだ。

「ナギサをかけ観衆をうならせた。」と記事にあるが、「昔は駆けていた」と聞いたことがある。寒川、菅谷には
記憶が無いが神社によっては
そんな担ぎ方もあったのかも知れない。

・ ・ 5万 ・
S28.7.15
1953
読 売
 無形文化財指定を!
  ”浜降祭”保護委に申請
廿数基のミコシが暁の茅ヶ崎海岸で乱舞する「浜降祭」は今日15日行われるが、寒川神社では長い伝統を
持つこの行事を無形文化財に指定してほしいと、近く同保護委に申請する。

午前3時 寒川神社 発輿   5時海岸
・ ?20基 ・ ・
S31.7.16
1956
毎 日
 浜降祭に10万人の人出
戦後最高の10万人の見物人で埋まる 130年の伝統を誇る 23基の大小ミコシ 70人の迷子
(同時に
仮装コンクールが行われている)
・ *23基 10万 ・
S32.7.16
1957
神奈川
 かけ声も勇ましく 夜明けの浜降祭 人波で埋まる
(この年も、同時に仮装コンクールが行われている)
午前2時スタート
・ *23基 5万 ヨイショ
ヨイショ
S33.7.16
1958
神奈川
 見物、海水浴かねて
  「浜降祭」に10万人の人出
・ ・ 10万 ・
S34.7.16
1959
朝 日
 風雨ものかわ 茅ヶ崎 浜降祭
千年前からの行事といわれる湘南名物浜降祭、風雨にたたかれて、ミコシのチョウチンは骨ばかり
23神社 *30基 1万 ・
S35.7.16
1960
読 売
 茅ヶ崎 浜降祭は6万人 ・ *23基 6万 ・
S36.7.16
1961
神奈川
 波打ちぎわで勇壮な乱舞
  茅ヶ崎海岸 『浜降祭』 約10万人の見物人集まる
23神社 *25基 10万 ヨイヤサ
ヨイヤサ
S37.7.16
1962
神奈川
 各地で夏祭り
  8kmねり歩く浜降祭 神輿19台が暁の祭典

東京をはじめ静岡、横浜、鎌倉など各地から−−−
・ ?19基 15万 ・
S38.7.16 茅ヶ崎市史には記載なし。 ・ ・ ・ ・
S39.7.16
1964
神奈川
 ミコシ車に乗って 茅ヶ崎海岸の浜降祭
海までは車でミコシが運ばれ、砂浜だけのミコシ乱舞となった。
「ヨイヤサ ヨイヤサ」と独特なかけ声で−−−
・ ?12基 ・ ヨイヤサ
ヨイヤサ
S40.7.16  茅ヶ崎市史には記載なし。 13神社 ・ ・ ・
S41.7.16
1966
神奈川
 威勢よく 浜降祭
ことしも8kmの長丁場とあって車で----
東京からバスでやってきた人たちなど5万人    130年の伝統
・ ?14基 5万 ・
S42.7.16
1967
神奈川
 ミコシに波しぶき  茅ケ崎 暁の祭典「浜降祭」
この日は濃い霧で視界は悪かったが、京浜地方はじめ関東各地からつめかけた約5万人の見物客で浜べは
埋め尽くされた。年々人出は多くなり茅ケ崎署でも150人の警官を配置した。しかし
交通事情や”かつぎ手難
”も加わって」肝心のミコシの数は減り、
三十数基ものミコシがくり出したころに比べると寂しくなっている。
・ *10基 5万 ・
S43.7.16  茅ヶ崎市史には記載なし。 ・ ・ ・ ・
S44.6.1
1969
ウィークリー
 今年から 茅ケ崎・寒川合同祭に 暁の浜降祭 盛大
茅ケ崎市、寒川町が一体となって、この祭典を行うことになった。浜降祭保存会発足
一説によると約1300年以上前、農耕、漁塩の術を授けてくださった神々に感謝するために始められた奇祭
であるとも言われている。
詳細記事 ・ ・ ・
S44.7.16
1969
 茅ケ崎 浜降祭  暑さも本格的 海岸で景気つける
水平線をのぼる太陽とともに、海水で心身をきよめ神に奉仕するという神事
寒川神社を未明に出発した同社の大ミコシが、海岸まで8kmのコースをねり歩いていくうち、茅ケ崎市内の各
ミコシが合流、15基のミコシが海岸に勢ぞろい。

 (?再び徒歩での渡御が復活していたのか?保存会発足で今年は特別か?)
・ ?15基 5万 ・
S45.7.16
1970
 朝モヤの中 ミコシ乱舞 茅ケ崎海岸の浜降祭
別項で書いたが、他の資料にこの年から道路の神輿渡御は禁止され、全神社が西浜駐車場から海岸まで
の渡御のみとなった。とあるが?
16神社 *19基 5万 ヨイヤサ
S46.6.10
1971
神奈川
 ことしこそ乱闘防ぐ 茅ヶ崎 浜降祭 きょう対策協議
−−−これまで二年連続して人命にかかわるような乱闘、傷害事件を起こしており−−−
詳細記事 ・ ・
S46.7.4
1971
神奈川
 今年は六基だけ?
  =二年続いた」乱闘事件たたる= 
茅ケ崎 ミコシ出渋る浜降祭
詳細記事 ・ ・ ・
S46.7.6
1971
毎 日
 きらわれるミコシかつぎ
     
ちんまり? 浜降祭  保存のカラー撮影もお流れか
県から文化財図鑑用に写真撮影するため「多くのみこしが参加できるようにしてほしい」と注文されていたに
もかかわらず−−−
詳細記事 ・ ・ ・
S46.7.16  参加神輿6基
茅ヶ崎市史には記載なし。別の資料から参加神社は

寒川神社、菅谷神社、腰掛神社、堤八坂神社、下赤神明大神、円蔵神明大神
6神社 6基 ・ ・
S47.7.11
1972
神奈川
 ミコシ19基に増加 浜降祭 万全の警備体制で
・・・・しかし勇壮なミコシの乱舞のためか、44年45年と二年連続して傷害、乱闘事件が発生、最盛期に
は40基を越える(?いつのこと?)ミコシが出たのに、去年はわずか6基だけというさびしさだった。
 ことしは警備が万全、ということで、各神社や氏子から多くの参加申し出があり、海に繰り出すのは
寒川神社など19基。ミコシは朝4時ごろ各神社を出発。6時ごろに浜べに終結、7時に祭典が行われるが、
茅ケ崎署は約230人の警察官を出動させて警備にあたる。   (結果は下記)
・ ・ ・ ・
S47.7.16
1972
神奈川
 勇壮に雨中のもみ合い 茅ケ崎の浜降祭 熱心な見物客500人
 台風の影響で雨の激しく降った15日早朝・・・・・・・17基のみこしが雨を吹き飛ばさんばかりに砂浜を勇壮
に乱舞した。昔相模川のはんらんで・・・・(浜降祭の由緒、省略)・・・次々とみこしが海岸に到着。 若者たち
は雨で全身グッショリになりながらもワッショイ、ワッショイと元気にもみ合い祭りは最高潮。
 式典の間、海の家で雨やどりしたり、たき火を囲んで暖を取っていたかつぎ手の若者は、式が終わると再
びみこしに群がって砂浜をデモンストレーション。 あいにくの雨で見物客は約500人ほどだったが、勇壮な
祭りに見入っていた。
・ ?17基 500人 ワッショイ
 ワッショイ
              参加神輿の数;*は大小合わせてと明記してある。?は大小合わせてか?。無印は大のみの数
次もあります