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大 駒ヶ岳
 ( 標高 : 1,144.0 m )
    N  40°27′00″
    E 141°00′44″ 
地図はこちらをクリック⇒

1 所 在 地 : 青森県三戸郡新郷村

2 山名の由来 : 駒の雪形が出ることによる

3 雪   形 : 白い駒形が出る
            (新郷村商工観光課
                   ・気田堅一氏)

4 出現場所 : 

5 出現時期 : 年によって違うが、毎年4月15日頃

6 望遠地域 : 山の北東方向、新郷村戸来地区

7 農 事 暦 : 昔のことであるが、雪中苗代の田打
           ちをした

8 神   社 : 郷社には三嶽大明神を祀る
            三嶽は大駒ヶ岳連邦の別名で、
            戸来嶽ともいう



  大駒ヶ岳の雪形はまだ記録されていないようだ。
 この方面の方には、この駒の雪形を、何とか記録を
していただくようお願いしたいものである。




霊峰三ッ嶽と大駒ヶ岳(通称大岳)
 写真:新郷村提供


大駒ヶ岳に出る雪形 
 イラスト:気田 堅一氏









 
このような勝手なお願いをしておいたところ、青森市在住の雪形研究家・室谷洋司氏が、2002年の春に 「大駒ヶ岳の駒の雪形」の撮影に取り組んでいただいた。
 以下は、HP「青森の自然」に室谷氏が掲載されたものを、ご了解をいただいて編集・引用させていただいたものである。


 

大駒ヶ岳の雪形ドキュメンタリー

               





 文・写真 : 室谷洋司 氏

写真�@ 三沢で十和田観光電鉄に乗りつぐ。高田大岳を主峰とした北八甲田山が白々と輝いて見えてきた。この南側に連なる戸来岳は姿を見せてくれるだろうか。長崎の開拓地に急ぐ。(2002年4月14日)



 
八甲田山に続く南側に戸来岳がある。三戸地方で親しまれ、国土地理院の地形図にある大駒ヶ岳(1144m)と三ツ岳(1159m)と区別して眺めることはまずないと地元のひとはいう。たまたま、この4月に中村英二氏が「駒の雪形」の専門ページを立ち上げた。同氏は駒ヶ岳ファンクラブのメンバーで、2002年の午年というおめでたい年にそれが実現した。全国の駒の名のつくところの自治体に照会して、新郷村の大駒ヶ岳にも「馬形」が出るとの情報を得て紹介している。
青森県人の私には、住まいは遠く離れているが灯台もと暗しであった。中村氏のページには役場の方のイラストが添えられているが写真は未だである。雪解けが記録的に早いことし、すぐ出かけようと4月14日を決行日に決めた。予報は「曇りときどき晴れ」。とにかく行ってみるしかない。たとえ「終日晴れ」という予報があったとしても、山頂部に雲がかかっていれば雪形天気とは言えない。
例によって棟方氏に最適な眺望点のシュミレーションをお願いした。同氏は私の明朝の出発を察してかブーメーランのようにメールが返ってきた。「おすすめは新郷村長崎地区、戸来岳の見える場所は限定されます」、と。

�A 棟方氏は長崎地区がもっとも確実とシュミレーションしてくれた。戸来岳から流れる数本の川の谷あいに集落があり、近場の山にさえぎられ見える場所が限られるのだという.


□ 戸来村長崎に2時間半で着く

 長崎地区は、同じ県内でも私が住む青森市からはもっとも奥まったところにある。言い方をかえれば、ここから三沢空港経由東京までの時間と青森市は同じ位かも知れない。朝5時41分の一番の「はつかり2号」に乗る。窓ガラスに雨滴が当たる。天気の境目である野辺地駅を過ぎたあたりから、東にのぼった朝日は雲の上から西側の山々を照らし明るくなってきた。三沢駅で下車し、すぐ十和田観光電鉄の2両編成の電車に乗る。日曜日で早朝・・・・、乗客は3人。窓を開けてあたりの風景にレンズを向ける。7時すぎ。高田大岳を主峰とした北八甲田連峰が白々と輝いて見えてきた。
終点の十和田市の駅前にはタクシーが1台いて、ドライバーが眠っていた。ノックして起こし、新郷村長崎までと伝える。怪訝そうな面もちで、行ったことがないという。未明から待ち続け、ようやくやってきた最後の客につき合う決心をしたようだ。

□ 大駒ヶ岳は頂上が雲の中に・・・・

 海抜300mの長崎地区。高原のように広々とした放牧地である。ところどころに雪が残っている。前方に堂々とした大駒ヶ岳が迫ってくる。感動の一瞬だ。ただ頂上部は雲に隠れ、右手に続く三ツ岳も隠れている。やがて気温があがるにつれ見えてくるだろう。「はつかり」のなかで買ったサンドイッチとペットボトルのお茶で朝食をとる。8時10分は、いつも家での朝食時間と同じだ。現代の交通高速時代に感服する。晴れ上がることを期待して周辺を歩くことにした。

□ 高原開拓地に春がやってきた

写真�B 戦後まもなくできた開拓村にはサイロや牛舎、住宅が立ち並んでいた。カラマツの林の中に小さな祠があった。(2002年4月14日)


 
長崎地区は戦後の開拓地の一つである。民家や牛舎、サイロなどが並ぶ。ここにもようやく春がやってきた。こんもりとした林の入り口に開拓碑が建てられ、昭和21年開墾事業開始と刻み込まれている。カラマツの木立を歩むと小さな祠があった。中には木彫りの馬と牛が仲良く並んで祀られている。ここに住む人々の開拓と新天地に向けた気持ちが伝わってきた。
 畑で鎌を使って雑草を抜き取る女の人がいた。下の集落に生まれ嫁入りしてここに住んだという。ここはもとは田圃で、5、6年前まで作っていたが、主人が体を損ねたことと減反の奨励から畑に替えたという。牧草を植えていたが、ことしから半分はアズキでも植えようと考えていると話す。まわりには野生化したスイセンがびっしりと生えていて、一輪、二輪と咲き始めている。


写真�C 一番目立つところに開拓碑が。
昭和21年開墾開始、40年竣工と刻まれている。


写真�D 小さな祠に木彫りの馬と牛が祀られていた。



写真�E 野生化したスイセンが春を告げる。


写真�F 女のひとは減反した田圃に、ことしはアズキでも植えようと草取りに精を出す。


□ 戸来岳の「マッコ」はまだ見えず

 小一時間ほどして、大駒ヶ岳の眺望点に戻る。土手をよじ登って一望の視界に小躍り。三ツ岳も入れて全山が姿を現していた。頂上部近くに雪崩れなのか黒いところが数カ所あり、あとは上から下へ流れる筋のような残雪に被われている。このなかから馬の姿を想定することは難しい。頂上部から下にかけて大手を左右に広げているような人のイメージが浮かんでくる。すぐ下にある有名な戸来のキリストの墓を連想する。その十字架に張られた姿を・・・・。
 ここにきた目的がこれで半ば達成された。「マッコ」が現れるのはまだ先のことで、それは、あと一週なのか十日なのかということである。はっきりと見えてきて分かったことは、ここでも黄砂のあとが生々しく山を汚していることである。 雪形は、なんといっても農家の人達の農事暦である。コメ作りや畑仕事に汗をしているところを探そう。そこから味のある写真を撮ろう。



写真�G 長崎地区の牧草地から見た戸来岳。左が大駒ヶ岳、右の三つの峰が三ツ岳。残雪がまだ多く、雪形が分離していない。(2002年4月14日)


□ 草木は下るにしたがい、みどり色濃く

写真�H ダムから下の谷あいに田園が続いている。三川目川両岸にはヤナギ類がすっかり若葉を伸ばし、ハンノキの芽も色づいてきた。田圃はまだ堅く刈りあとが点々と見える。(2002年4月14日)


 戸来岳の雪解け水は又木戸ダムに貯えられ、ここから三川目川として谷あいの集落をうるおす。開拓地や集落をつなぐ立派なスーパー林道もどきの舗装道路が通じているが、ノーカー族の特典は川沿いの山道を道草ざんまいでたどることである。よくここまで資金を投入して整備されたものと田圃が続き、それがところどころ減反で放置されている。両側が丘陵で囲まれていることから風もなくポカポカ陽気だ。川岸のヤナギ類はすっかり若葉を出し切り、まじってハンノキもつぼみの緑色が濃くなってきた。あぜ道には野生化した菜の花が咲き、ほど良い点景を見せている。新しく羽化したスジグロシロチョウがヒラヒラとか弱く飛んでは路傍の枯葉に止まった。成虫のままでたくましく冬を越してきたクジャクチョウやキタテハなども日向ぼっこしている。体を温めてからフキノトウやスミレ類に蜜を求めるのだろう。道路のわだちが水たまりになっている。端に近い水たまりは澄んでいて、産まれて間もなくのカエルの卵塊が浮いていた。ジェリーのなかの黒い卵はまだ円形をしている。四輪駆動の車が通り過ぎて行った。真ん中の二本のわだちの水は泥色に濁って生き物の気配はない。あったとしても、ここではオタマジャクシは生存できない。山道も住み難くなったものだ。


写真�I 路傍の水たまりにカエルの卵塊     


写真�J スジグロシロチョウの春型

写真�K 谷間の田圃は下るにつれて季節が早まる。野生化したアブラナが咲く。(2002年4月14日)


 
妙に達観しながら、戸来岳の頂を谷間から一カ所だけかいま見ただけで川台集落についた。一軒の屋敷には住宅があり、田植機などの農業機材の詰まった倉庫、それにハウスが並んでいる。外からボウーッと緑色に見えた。ビニールの隙間からハウス内をのぞき見する。黒い合成樹脂でできた平たい箱に早苗がすくすくと伸びて、びっしり詰まっていた。この地区の田植えは5月10日頃といわれるが、ことしはもっと早くなるかも知れない。この調子でいけば5月の連休後半に一気に田起こし、水入れ、田掻き、そして田植えに突入するのだろう。それは苗の生長具合が一番だが、兼業農家では主人の都合にもよるのだろう。現代稲作は合理的である。


写真�L ハウスの中では早苗がすくすくと生長



写真�M ニンニク畑。奥に苗畑ハウスが見える。

□ 土地の人と「マッコ」を語る

 川台の小学校の上を登る道がある。何かありそうな気配がした。広大な畑が広がり、ナガイモ掘りの最中だった。その向こうにはニンニク畑のうねが整然として、遠目には緑の絨毯のように見えた。仲良く全国一の青森県特産品だ。うしろを振り返った。谷あいの集落と畑を前景にした大駒ヶ岳、三ツ岳の戸来岳のセットが優美に見渡せた。サンドイッチの残りをほおばりながら、心ゆくまで北国の春の風景を脳裏に刻み込んだ。下の学校の方から二人の子供が自転車で登ってきた。丘を越えて反対側の集落まで行くのだという。大人たちは四輪車で、こどもたちも二輪車で。人間は歩くことをやめたのだろうか。これまでの4時間ほどの間に徒歩のひとをまだ見かけていない。

写真�N 川台の小学校から丘陵に登ると、一面に畑が広がり、ナガイモ掘りをしていた。前方には、左から大駒ヶ岳、三ツ岳の山並み。(2002年4月14日)


 
 その土地にどっぷりと浸り、あえぎあえぎ歩きくたびれたよそものが土地の人に話しかける。相手は一瞬、こちらの不思議な出で立ちに小首をかしげる。やがてうち解けて年輩者から聞いてきたこと、自分の体験に照らしながら土地の話しを始めた。
昭和15年産まれの男のひとはすぐ近くの下栃棚に生まれた。あの山を何と呼びますか?と聞く。「戸来岳です。」大駒ヶ岳とか三ツ岳とかは? 「細かくはそうなりますが、ごくごく普通には戸来岳です。」・・・・確かにそうであろう。青森市から見る八甲田山について誰もいちいち大岳とか赤倉岳とかは言わない。よほどの山通でない限り、北の八つの峰を正確に答えられるひとはいないだろう。
 今はまだ、いっぱい雪が残っていますが、だんだん消えていき馬とかの形に? 「マッコ、馬形ですね、そう言います。」 彼が言うにはマッコとか馬とかは割合知られていることだという。昔から農家のひとは大いに意識してきたし、農作業は機械化されてしまったが、いまでもその消え方でもう霜が降りないなどと気にしているという。ことしは黄砂がひどくて消え方に異常をきたすかも知れないが、4月下旬から5月上旬には完成するのではないかと話してくれた。紙とボールペンを渡したら、迷うことなくスラスラと絵を描いてくれた。
 冒頭に紹介した中村氏の取材では、村役場の人の情報として草をはむ姿になるという、おだやかな姿をスケッチしてくれた。今度の取材では左上向きに疾走するダイナミックな姿になっている。これは人々が雪形をみてどうイメージするかを考えるときに興味深い。二者二様、あるいは三者三様ということもあり得ることなのかも知れない。やがて完成する雪がかたどる馬の造形が楽しみである

写真�O 大駒ヶ岳をアップで捉えた。全面に雪が多い。頂上から下にかけて両手を広げた人物のように見える。やがてこのキャンバスに雪形がどのように描かれるのだろうか。(2002年4月14日)


�P 大駒ヶ岳の馬形について地元のひとは上図のように教えてくれた。左は中村氏のページに役場のかたが描いてくれた。中は今回の調査で、上栃棚の62歳の男のひとがスラスラと描いてくれた。右は、上栃棚のひとから教わったもう一つの「傘松」の雪形。



□ マタギの雪形、「傘松」が出る!!

 下栃棚の人は、もうひとつ貴重な情報を教えてくれた。大駒ヶ岳の馬の右隣に「傘松」の雪形が出るというのである。いまは殆ど知るひとはいない。7、80歳のひとでないとと言いながら、マタギ(猟師)に重宝された傘松が完成すると縦横無尽に猟がはかどるというのである。山は堅雪になりカンジキをつけなくとも広い範囲を行動できる。今は毛皮が安く商売にならないが、昔はこのあたりに300人ほどのマタギがいた。猟をするケモノはバンドリ(ムササビ)、ウサギ、テン、キツネ、クマなどであった。「クマは近年多くなって里まで下りるようになったよ」とも付け加えてくれた。
 馬形や傘松は、山菜採りの目安にもなり、いまでもこれで動いているという。その見方は人と場所それぞれで、説明のできるものではないという。山菜の旬は土地の呼び方でいうと、コゴミ、ゼンマイ、ボンナ、シドケ、フキ、ミズで大体、この順序で出てくるという。春のキノコもあり、ユキノシタとかカックイ(ナラタケ)などと。

写真�Q さらにくだった女ヶ崎地区から三嶽神社へ山越えする途中からの戸来岳の展望。八甲田山の南側では一番際だった山嶺を見せている。(2002年4月14日)



□ 山里に田打桜の季節がやってきた

 雪形を調べ歩いて至福のときは、このような村びとに出会って昔語りができることである。話がはずむと雪形からはずれてしまうこともある。聞きたいことは祖先から受け継いだ自然暦なので、できるだけ本題に戻そうとするのだが・・・・。

写真�R 戸来の本村を歩く。各所に田打桜(コブシ)が咲き始めた。昔であれば田を起こす季節を教えている。


 
 村の中心、戸来に着く。ここまで歩くこと話すこと約6時間。畑のウメがちらほら咲き始め、神社や寺のあちこちには田打桜と呼ばれるコブシが、蕾から開花までさまざまな段階が見られた。午後2時すぎ、戸来をあとにする。
 帰路、十和田市のバスターミナルのサクラが咲いていた。ことしは、十和田市の開花宣言はおとといの12日であった。ちなみに平年は4月24日で12日も早いことになる。







   文・写真 : 室谷 洋司 氏
�@大滝平付近

□ 雪形の出現はいつ?! 黄砂の影響は?! 

 ことしの雪形は、大きく二つの異常ぶりに見舞われている。3月下旬に列島に来襲した記録的な黄砂は雪山を茶色に染めつくした。冬の少雪と春先の高温は桜前線をはじめ自然界におしなべて異変を巻き起こしている。"新緑のうえに真っ白な残雪をいただく"は雪国だけの美しい風景だが、そのイメージはずいぶん損なわれた。しかし長い目でみれば、これによって高山地帯の雪の積もり方、消え方、夏山からは判断できない微妙な地形とか植生などが一目瞭然にわからなくもない。千載一遇のチャンスと受けとめることにした。
 4月20日は、効率のよい広域調査ができるように、友人・三浦博氏の車に便乗し、255キロの雪形「行脚」ならぬ「行車」となった。めざす山と雪形は行程順に、�@八甲田山前岳の「種蒔爺」、�A同じく赤倉岳の「蟹ハサミ」と「牛クビ」、�B同じく田代牧場から見た「駒の雪」、�C同じく湯ノ台から見た高田大岳の「白馬」、�D同じく小岳の「鳶形」、�E同じく硫黄岳の「松形」、�F戸来岳の一峰・大駒ヶ岳の「馬」、�G同じく大駒ヶ岳の「傘松」の合わせて9体の雪形である。

□ 前岳の「種蒔爺」と赤倉岳の「蟹ハサミ」「牛クビ」

 4月20日(土)快晴、6時30分青森市発。十和田北線北側の田代直行線を選ぶ。冒頭の写真は大滝平付近(海抜約500m)で、今から100年前の「雪中行軍死の彷徨」の入口あたりである。路傍の雪は予想外に少ない。右手前方に前岳(1251m)を望む(写真下)。この左半分に「種蒔爺」が現れるが、まだその兆候はない。


□ 湯ノ台から見た戸来岳の峰々

�J戸来岳ロング(湯ノ台)

 
 今回、戸来岳の雪形調査が加わったことから、この山塊にも関心をもつことになった。いつもはそのまま通過するところだが、湯ノ台から南方に見渡せた景観をじっと眺めた。北八甲田山と気象が異なるのかかすんで見えた。左から大駒ヶ岳(海抜1144m)、三ツ岳(海抜1159m)、十和利山(海抜990m)、十和田山(海抜1053m)である。いずれも雪をいただいている。(写真上)
 十和田湖畔の宇樽部(海抜430m)から南東方向の迷ヶ平(海抜600m)へのつづら折りの道を上る。ここを越えて下ると新郷村だ。

□ 新郷から見た大駒ヶ岳の「馬」と「傘松」はまだ早い?!

�Kコブシ


 迷ヶ平高原は寒々としていた。一気に海抜100m台まで下りる。里は春爛漫で田打桜(コブシ)が満開であった。林の中にある木は遠慮がちにほっそりしているが、集落はずれの道ばたに大木を見つけた。見上げると青空と白花のコントラストが見事であった。(写真左)
 1週間前に選んでおいた川台地区(海抜200m)まで上がる。時刻は午前9時40分。川代小学校上の畑地からの戸来岳の眺めは素晴らしい。(写真下)

�L戸来岳M
�M戸来岳U


 この1週間、高温が続いていたのでもしかしたら出現とあせっていたが、雪形は未だ分離していなかった。前回とそんなに変化がないように見えるが、実際は刻々と胎動が始まっているはずである。大駒ヶ岳のアップを示したが、この山体のどこに「馬」そして「傘松」が現れるのだろうか。真ん中に? 左側、または右側に? 興味津々である。(写真上)

□ 山里は田打桜と種蒔桜が白と紅色に満開

�Nキクザキイチリンソウ

 
 新郷村や南隣りの田子町の村々を通っては山道に入り野花を求めて車を走らせた。海抜が高いところではキクザキイチリンソウが花盛りで、路傍にはキの色が目を楽しませてくれた。
 丘陵沿いに走ったので、戸来岳はなかなか姿を見せてくれない。田子町の畑地からひょっこりと顔を現した。写真下は東南側からの眺めである。右が大駒ヶ岳で左へ三ツ岳と続く。

�O田子から戸来岳


 畑地が過ぎると今度は小高い山々だ。そこには植林されたスギとコナラ、クリを中心にした落葉広葉樹林が被っている。いち早く花の季節を迎えたのは田打桜であり種蒔桜である。白色と紅色の競演である。ただ、津軽の山々を見慣れたものにとっては桜の紅色が劣っている感がする。

�Pコブシ、サクラ

□ 南の迷ヶ平牧場から見た戸来岳の峰々

 午後3時40分、帰路につく。往路とは別の田子町から迷ヶ平へのコースを選ぶ。途中にある迷ヶ平牧場(海抜600m)に立ち寄った。入口には雪が残り進入ができない。徒歩で入る。真南から山を眺める。右から大駒ヶ岳、三ツ岳、十和利山と並んでいる。これまでと異なることは、残雪がほとんどないことである(写真下)。西側からの眺望はなかったが、これまでの各方位からの眺望から雪の積もり方、消え方にいくつかの示唆を与えてくれる。これらの考察については次の機会に譲りたい。

�Q迷ヶ平牧場から戸来岳

 
 ここは春が始まったばかりで、ブナの芽はまだ堅く下草のツシマザサの緑色がことさらにあざやかに輝いていた。田代高原経由で青森まで、255キロの八甲田山ぐるりの走行であった。

□ 記録的な高温、地獄沼付近にクマが出た!!

 一例として、この1週間の青森市の最高気温と平年比を( )内に掲げる。
15日(月)25.1(+11.8))、16日(火)20.5(+7.2)、17日(水)18.5(+13.5)、 18日(木)15(+1.3)、19日(金)16.9(+3)、20日(土)23.5(+9.4)、 21日(日)23.3(+9)。1週間の最高気温平均が20.4度、平年差が+6.7度。驚くべき暑さで、なかでも15日は今年に入って初めての夏日となった。
 2002年のサクラ開花情報は棟方氏の資料に詳しいが、私が住む桜川のサクラは数日間の満開のあと、21日におおかたが散った。
 新聞記事によれば、14日(日)午後、八甲田山地獄沼から北へ約200mの山中で、スキーヤーが体長約2mのクマを目撃している。今年初の目撃記録で、狭義の八甲田山では季節に関わらず目撃情報はきわめて少ない。このとき私は、むしろクマの生息地として知られる戸来岳の麓を1回目の調査で歩いていた。



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       文・写真: 室谷 洋司 氏
�@020424国吉La45

  
  ことし2002年4月から「みちのく雪形行脚」というシリーズを始めたが、せいぜい2週間に1〜2回を考えていた。ところが、前代未聞の高温に加えて4月は土日曜日がすべて雪形日和で休む間もない。季節はどんどん進んでいく。北国に伝えられてきた謎の雪形を求めて東奔西走することになった。オーナーの棟方氏には格別なお世話を戴きながら第7回目を数えることになった。
 道すがらさまざまな出来事に出くわした。20年も前に土地のひとから情報を得ていた、ちょっとしたことからすばらしく端正な雪形にめぐり合ったり、あるいは首尾よく経過を観測しながら土壇場で無念の涙を飲んだ、などと・・・・。今回はその明暗二つにターゲットを当ててみた。

□ 岩木山の「鯉の滝上り」
   第5回で紹介したが、1992年に「岩木山岳の方で鯉が出る」と聞いていたが、なかなか場所・時期の見当がつかず今日まで未確認でいた。4月21日に尾太岳の「馬」確認に挑戦し、帰りがけに弘前〜西目屋線の道路工事のため片側ストップで車が停車した。左手に岩木山が見えたが、突然「鯉」が飛び込んできたのである。瞬時にシャッターを切ったが、車からではなくキチンとした映像を残したい。ところが当日は時間切れで弘前駅に直行しなければならなかった。
   3日後の24日に再度挑戦。目指す眺望点は弘前市飛び地の国吉と高野である。この沿線は岩木山南側にあたる岩木川源流に至る山あいで、山の中腹から頂上までを見通せるところは数カ所に過ぎない。


  
  ことしの春は異常に早かった。冒頭に掲げた国吉からの写真をみると左側にソメイヨシノが満開。他所ではほとんど散り果てていたがここでは残っていた。平年であればゴールデンウィークの中間に相当する。家々のあちこちに子供の日を祝う鯉のぼりが、5月の風にはためいている季節。互いの「鯉」というタイミングの良さに感心した。今回、掲げた国吉と高野の4月24日の写真はもっともよく整った鯉の姿である。10日後の5月5日に同地を訪ね薄雲のなかから、さらに12日は雲の下の同位置を撮影したが、もはや2匹の鯉は跡形もなく骨ばかりが残っていた!! 地元のかたがたから雪形が教える暦としての具体的な役割を聞けないでいるが、予測されることは、「鯉の滝上り」は形状の変わり身が早く、輪郭の出始めから、目玉がクッキリと出た完成期、そして徐々に崩れて骨になる状況・・・・。これらから田起こし、水入れ、田掻きなどと、田植え直前までの一連の作業に役立てたものと思われる。

□ 戸来岳の「馬」は、今年は現れず?!
   戸来岳の大駒ヶ岳に出現する山名由来の「駒または馬」については、4月14日、同20日と、万全のスケジュールで調査・撮影にのぞんできた。幸い雪形をみるには絶好の天候に恵まれた。最後の27日は完成した姿をカメラに収める「仕上げの日」と考えていた。
   このときは東京発の雪形行脚で、前夜22時23分上野発の「はくつる」の寝台で、三沢に早朝7時16分着、十和田観光電鉄に乗り換え7時53分十和田市着。駅前には土地の山に詳しい下栃棚氏が出迎えてくれた。そして開口一番いわく、「馬」はとっくに崩れてしまったと。・・・・? 張り切っていただけに、この一言にグッタリしてしまった。まだ厚い雪をいただく南北八甲田山を右手に眺めながら(写真下、十和田市御幸橋から、2002年4月27日)、新郷村へ向かった。

�H020427南北八甲田a56

 
  1週間前の20日に現地に行き好条件で大駒ヶ岳を撮影している。そのときはまだ現れていないと思っていた。そんなことはあるまいと「何時?」と聞き返した。同氏は指折り数えて10日前にはなくなってしまった、と自信顔にいう。同氏に14日に会ったとき、その後のフォローをお願いしておいた。20日の私の行動は別行動であった。雪形が消えてしまったことについて、下栃棚氏の説明は次のようである。
   「ことしの山は異常だった。山の雪消えは今まで見たことがないくらい早かった。10日前に2、3日生ぬるい強い風の日が続いた。そして「馬」は一晩でなくなってしまった。山の雪は日中の温度があがると急速に解けていく。夜になると冷えて氷にもどり山にへばりつく。この繰り返しで徐々に馬の形になっていく。ところが今年の山は柔らかくてボサボサしてうまく歩けないほどで、堅雪というのがなかった。そこに強風がきて雪全体が流れてしまった。山が走ったような消え方だった。
   昔は馬の形が整っていくのをみて田打ちをした。苗がうまく育ってくれれば良いなと。ところがことしは山は急いでいる。山菜も同じだ。タラの芽は例年は5月に入っ入ってからだが、ことしは今が盛んだ。もっとも採りつくされてしまっている。ミズでもなんでも根こそぎ採られてしまう。よそからきた人は山への思い、感謝の気持ちがない。自分だけが良ければという身勝手で荒らし回る。」

�I020427コナラ丘陵Ma48�J020427田起川台a34

  
  車は新郷村の山あいに入った。田起こしが始まっていた。一週間前とはまわりの山の風景は大変な変わり様であった。色の濃いオオヤマザクラ(種蒔桜)や、純白のコブシ(田打桜)にかわって新緑のシーズン到来で、とくにこの地方にはコナラやクリが多いことから、コナラの白味を帯びた新葉が目だっていた(写真上左)。
   下栃棚氏の車は上り坂を走り、目指す新郷村川台の眺望点に近づいていた。車の外の気温はで朝2度であったのが、もう13度まで上がっているという。今年は、馬を見たひとは何人もいないだろうと同氏はつぶやいた。内心、それは冗談であって欲しかった。

�K020414川台u35
�L020420戸来岳U86
�M020427大駒ヶ岳Ua11
�N大駒ヶ岳の馬

  
  現地に着いた。下栃棚氏は気の毒そうな面もちであったが、これだけはどうしようもない。上3枚の写真は、4月14日、6日後の20日、さらに7日後の27日の順である。雪消えは下に流れるような消え方である。今まで多くの山をみてきたが、確かに戸来岳の消え方は縦に筋状でずいぶん変わっていると思っていた。これは今年の異常性をも示していたのである。
   20日の写真をよくみるとぼんやりとしているが、馬の形をなぞることができる。そして27日に至ってはやはり馬の形を残しながら消え細っている。これら3枚からモンタージュを作成したのが図である。形のよく整った立派な「白馬」である。実際はもう少し崩れているかも知れないし、また細身なのかも知れない。いずれにしても、実物の確認は来年までのお預けになってしまった。
   同氏の話しによると地元の80、90歳の年寄りも、こんな年は初めてだと言っている。夏寒くならなければいいがと、いまから心配しているという。最近はほとんどないことだが、水不足の可能性も捨てきれない。湧き水に頼っている新郷村は、節水の呼びかけとなるのではないかという。戸来岳の左・大駒ヶ岳と右・三ツ岳をながめると日に日に雪が流れ落ちたように見えた(写真下、2002年4月27日)。

�O020427戸来岳La13

  
  ことしの田打ちは平野部の十和田市あたりで1割位であったが、新郷村に入ると7割ほどになっている。水は戸来岳周辺からきてまず新郷村の田圃を潤す。そしてだんだんと下の十和田市や五戸町などへと下っている。ビニールハウスの苗床は高温のため生長が早く、田植えとの調整が大変だという。時期が合わなくなれば、田打ち、田掻き、田植えを一緒にやってしまう農家もあるとという。現在の機械化農業はいかようにも対応できるし、雪形の「馬」などはもはや見向きもされないのである。こうなると「馬」のたたりがあるかもしれない!! たとえば稲作、畑作にも水不足という干ばつ被害がおよぶのではないか、などと・・・・。

□ 雪形生成のメカニズム
   雪形の生成のメカニズムについて、ことしの戸来岳の「馬」は大切なことを教えてくれた。高山に出現する雪形は年によって早い遅いの違いはあるが、そんなに形状に大差はない。毎年、同じ経過をたどりながら形を整いていき、そして消えていく。深い谷間などにしっかりと根付いた雪形は安定性がある。一方、凹凸が少なく平面的な斜面の場合、そこのベースが岩盤であるとか特異な植生を示しているなどから、これら全体が作用しあいながらじっくりと時間をかけながら、一つの形を作り上げていく。今回の戸来岳の「馬」は、後者の好例であるが、この場合融雪期の気象状態がその形状に大きく作用することが今回の事例でわかった。
   雪国のひとたちは、ふるさとの山々にそれぞれの雪形をもちながら、その経過をみて田仕事、山仕事、あるいは漁について段取りを組んできた。順調に推移してその形が見事であると、ことしは良い年になると胸をなで下ろしたと、土地の古老はよく話してくれる。
   下栃棚氏はここ10年ほど雪の消え方に変調があるという。「馬」の現れ方が昔とちょっと違うようになったともいう。具体的にどこがどうということではないが、これは近年、異常気象が云々されることと軌を一つにした現象なのであろうか。

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  9時45分、新郷村から十和田市に入る。奥入瀬川(旧・相坂川)の御幸橋から戸来岳を遠望する(写真上、2002年4月27日)。気温が上がるにつれて山々は霞がかかったようにぼんやりしてくる。やがて十和田市の青森行きのバスターミナルに着く。下栃棚氏に来年のまたの協力をお願いして別れる。
 (文責:室谷洋司)