おっぷ    だけ     ( 標高 1,083 m )     N  40°27′58″    E  140°16′39″   地図はこちら⇒            



1 所 在 地 : 青森県中津軽郡西目屋村

2 山名の由来 : オップダケと読む
            由来は調査中

3 雪  形 : 馬の雪形が出るが、色・形
          は不明

4 出現場所 : 不明

5 出現時期 : 不明

6 望見地域 : 砂子瀬 辺りか?

7 農 事 暦 : かっては、 代掻きや田植え
          の時期の目安にしたようだ


 品川弥千江著「岩木山(1968年)」に、
たった一言 ”中郡西目屋の尾太岳(オップダケ)に馬が現れ、判断して代掻きや田植えをした” との記述がある。

 

 
  「尾太岳(オップダケ)」を望む (2002・4・21) 
   写真 : 室谷 洋司 氏









             「尾太岳」ドキュメンタリー
            




         文・写真 室谷洋司



尾太岳に「馬」を求めして

 岩木山奈良寛池の「四つマナグ」(本シリーズ第2回)で紹介した品川弥千江氏の著書「岩木山」(1968)に、たったひとこと"中郡西目屋の尾太岳に馬が現れ、判断してしろかきや田植えをした"とある。1980年代に一度調査をしたことがあったが、このときは山全体の雪が消え失せたあとだった。
 
 4月21日は昼頃から弘前市で所用があったので、その前までに予備調査をしようと早朝、青森を発った。
 6時すぎ、車窓からの津軽平野。里にはソメイヨシノが満開で、山寄りは田打桜(コブシ)と種蒔桜(オオヤマザクラ)がいよいよ春色を競っていた。田園はまだ作業の気配はないが、ときどきよぎるリンゴ園は若葉と花蕾が開花間近で、白みを帯びたにぶい緑色を見せていた。岩木山はぼんやりとして花霞か・・・・。
 弘前の駅頭は、花見が会期前に終わってしまう前代未聞のクライマックスをこの日迎える、そういった嵐の前の静けさ・・・・。花吹雪のなかをタクシーで一気に尾太岳の麓まで走ることにした。走行距離メーターをゼロにしてもらった。



 「尾太岳」(2002・4・21)    写真 : 室谷 洋司 氏


□ 尾太岳の「馬」はまだ見えず

 ずっと下流におりてようやく尾太岳の山体が広く見えるようになった。手前の山に半分を隠されながら白く雪に覆われている。山頂から右に下って3カ所に黒く消えたところがある。このいずれかがやがて馬の形に成長するのだろうか。あるいはもっと多くの雪が消えて馬が白く残されるのだろうか。これからが楽しみである、砂子瀬集落まであと1キロほどの地点である。 




 廃墟の尾太集落跡      写真 : 室谷 洋司 氏

□ 鉱山町の廃墟のあと

 集落の気配を感ずるあたりで左岸の林内(海抜220m前後の斜面)に、一面がカタクリの群落が見えた。イチリンソウも混じっていた。春の女神のニックネームをもつヒメギフチョウが飛ばないかとしばらく観察したが姿を見せなかった。まだ陽光が射していないのである。
 突然、右岸の奥にコンクリート造りの2〜3階建ての集合住宅が見えた。尾太集落(海抜200m)の廃墟のあとである。かつては最高1500人の鉱山関係者が住んでいたという。前面には美山湖が伸びていて濃い緑色を見せていた(写真上)。





砂子瀬集落の家が解体されていく   写真: 室谷 洋司 氏

 砂子瀬集落で解体した古材を燃やす煙と「尾太岳」  写真: 室谷洋司氏


 美山湖の湖畔となる砂子瀬に着く。住宅を解体して土台だけの家がやたらに多い。古材などを燃やしている男の人。家のまわりで後片づけをしている女の人。
 
 お早うございます、と言って宅地に入っていく。 「そこから見えている尾太岳にまだ雪がいっぱいありますね。あの雪が消えていくと馬の形が現れませんか?」。 
 
 女の人は聞いたことがないという。 もう一人、畑を鍬で起こしている人がいた。同じことを尋ねる。答えは同じだった。長閑な春が巡ってきたはずなのに、何かしらそのような気分が伝わってこない。  
 いろいろと尋ねてみると、今年中に1軒を残して立ち退いてしまうとのことである。 山の方を指さして”あの印のところまで水に埋まってしまうのです” と言う。
 
 そうだったのか。「あと何年でここが無くなるのですか」。 「わからない・・・・」。 それ以上は聞く気がしなかった。

 湖畔にかかる湯沢橋から砂子瀬集落とその背景として姿を見せている尾太岳の写真を何枚も撮った。アップで、あるいは古材を燃やす煙がもうもうとしている構図や、岸辺の桜を入れたものなどと。