岩木山奈良寛池の「四つマナグ」(本シリーズ第2回)で紹介した品川弥千江氏の著書「岩木山」(1968)に、たったひとこと"中郡西目屋の尾太岳に馬が現れ、判断してしろかきや田植えをした"とある。1980年代に一度調査をしたことがあったが、このときは山全体の雪が消え失せたあとだった。 4月21日は昼頃から弘前市で所用があったので、その前までに予備調査をしようと早朝、青森を発った。 6時すぎ、車窓からの津軽平野。里にはソメイヨシノが満開で、山寄りは田打桜(コブシ)と種蒔桜(オオヤマザクラ)がいよいよ春色を競っていた。田園はまだ作業の気配はないが、ときどきよぎるリンゴ園は若葉と花蕾が開花間近で、白みを帯びたにぶい緑色を見せていた。岩木山はぼんやりとして花霞か・・・・。 弘前の駅頭は、花見が会期前に終わってしまう前代未聞のクライマックスをこの日迎える、そういった嵐の前の静けさ・・・・。花吹雪のなかをタクシーで一気に尾太岳の麓まで走ることにした。走行距離メーターをゼロにしてもらった。
ずっと下流におりてようやく尾太岳の山体が広く見えるようになった。手前の山に半分を隠されながら白く雪に覆われている。山頂から右に下って3カ所に黒く消えたところがある。このいずれかがやがて馬の形に成長するのだろうか。あるいはもっと多くの雪が消えて馬が白く残されるのだろうか。これからが楽しみである、砂子瀬集落まであと1キロほどの地点である。
集落の気配を感ずるあたりで左岸の林内(海抜220m前後の斜面)に、一面がカタクリの群落が見えた。イチリンソウも混じっていた。春の女神のニックネームをもつヒメギフチョウが飛ばないかとしばらく観察したが姿を見せなかった。まだ陽光が射していないのである。 突然、右岸の奥にコンクリート造りの2〜3階建ての集合住宅が見えた。尾太集落(海抜200m)の廃墟のあとである。かつては最高1500人の鉱山関係者が住んでいたという。前面には美山湖が伸びていて濃い緑色を見せていた(写真上)。