三の丸跡

箱根口
江戸時代の小田原城は本丸、二の丸、三の丸とお城の敷地を大きく3つに分けられ、
堀と城壁とで区切られ構成されています。
その中で三の丸は一番外側の敷地となり、
江戸時代では侍屋敷や藩校集成館などが置かれました。


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残念ながら殆どの城跡が開発により消滅してしまっていますが、
所々にその面影を残す跡が残っております。
この三の丸跡、かつての小田原城の姿を思い浮かべながら街を歩いてみては如何でしょうか。

見所は以下の通りです。詳しくは画像をクリック!!

大手門 大手門
お城と城下町との出入口としての正面玄関大手門は、
江戸時代にこの位置に築かれました。
現在は櫓門の石垣が1基のみ残されており、鐘楼として利用されています。
この鐘楼は浜手門といわれる別の場所にあったもので、
廃城後、大正時代に現在の場所に移されました。
江戸時代から300年以上、この鐘楼は時を告げています。

箱根口 箱根口
城址公園の南側に位置する箱根口は戦国時代から江戸時代初期までの間、
大手門としてお城の正面玄関でした。
現在は櫓門の石垣が1基が残りますが、小さな公園として公開されています。
土塁も残されており、隣接する三の丸小学校と、
道路を跨いだスポーツ会館の裏まで繋がっています。

幸田門 幸田門
小田原駅から城址公園に向かって一番最初に目にする城跡です。
記念碑と遊歩道としての土塁が残されています。
戦国時代に上杉謙信や武田信玄の攻撃を小田原城は受けますが、
幸田門の付近から侵入を許したと言われています。
遊歩道の土塁には江戸時代の石垣の一部が残されています。
清閑亭土塁 清閑亭土塁
清閑亭は黒田長成侯爵の別邸ですが、
ここには三の丸の土塁と堀が残されています。
土塁は庭園の一部として取り込まれております。
堀は当初位置関係から空堀と考えられておりましたが、
後の発掘調査などにより水堀であることが解りました。



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