| 浜降祭の意味 寒川神社の浜降祭には、浜降り行事に共通する「神自身が禊をする」という性格があることは疑いを入れない。今日の行事でも、往路は何事もなく南湖の祭場へ向かうが、復路には各所の行在所に立ち寄って本社に還幸する。禊をするために浜に向かう神が往路よりも復路により豊かな呪力に満ちていることは当然である。 また、海に入った神輿が竹の鳥居を通って祭場に入場することや、祭場の南湖の浜には八大龍王の碑が祀られ、ここが寒川大明神降臨の地であるとする伝承があることからすれば、明らかに漂着神としての寒川大明神の降臨を再現し、浜降祭によって神の再生を図る行事と考えられよう。国衙の祭祀政策による国府祭とは異なり、寒川神社独自の本来的行事がこの浜降祭である。 |
| 浜降祭の民族 日本各地に浜降の行事は多い。水の持つ穢れを祓う呪力によって、海浜や川辺で禊をする浜降は、神事を行うにあたって神官などが禊をしたり、あるいは潮水を汲んで祭場を清めたりして祭事の一部となり、また神輿が海浜に御幸して海に入ることが浜降行事、浜出行事として祭りそのものになったりする。奄美地方では、海上他界の観念に基づいて海上から浜の仮小屋に祖霊を迎えて共食するという、禊とは別の機能も浜降の行事が果たしている。 関東地方では祇園信仰・天王信仰と結びついて神輿の海中渡御が特に盛んで、茨城県の鹿島神宮、および北茨城市佐波波神社のお船祭り、千葉県勝浦市遠見岬神社の浜下り、同一宮町玉前神社の十二社祭り、同館山市州崎神社の浜降り、ここ相模寒川神社の浜降祭、大磯町高麗神社の浜降祭、真鶴町貴船神社の船祭、平塚市春日神社の腕骨祭り、横浜市本牧神社のお馬流し、など枚挙にいとまがない。 |
| 「みそぎ」とは 古来より水には身体についた穢れを洗い流して清浄にする神聖な力があると信じられていた。この考え方は古くから存在しており、文献の上ではすでに三世紀に成立した『魏志倭人伝』の中に死体を葬った後、水中で澡浴することがみえている。 この水の清浄力によって穢れを洗浄する宗教的儀礼を禊という。 禊は「身滌(みそそぎ、みすすぎ)」の意とされる。寒川神社では古くは「身滌浜降り神事」と称していた。海や河川などの水による禊に対して、特に水を必要としないで穢れを清浄にする宗教的儀礼を祓いという。禊と祓いは本来は異なるものであるが、しばしば混同されることがある。 禊は、イザナギの命が黄泉の国から逃げ帰って来た時、筑紫の橘の小戸(おど)で海水に入って身を清めたのをその起源とする。現在でも水垢離と称する水浴の法が民間で行われている。神聖な水の力によって穢れを清め、神に近づこうとする禊神事は古代以来、伊勢神宮や加茂社など種々の神社で行われてきた。 |