浜降祭次第           2003.12.11

「寒川神社祭典古式」という明治時代に書かれた写本が寒川神社に所蔵されている。基本的には現在の浜降祭もこれに則って行われているが、寒川神社と菅谷神社が全行程を徒歩で渡御していた昭和63年の資料によって浜降祭次第を見てみることにする。
 浜降祭の前日7月14日の午後1時に神輿を本社の拝殿に装置して、午後6時に神主により神輿への御霊遷しの儀式が行われる。7月15日の当日は寒川神社の神輿に供奉する例えば菅谷神社の神輿は、午前0時に菅谷神社の社頭を発輿し寒川神社へ向かう。そして太鼓橋付近に待機していた倉見神社と一之宮八幡大神の神輿とともに寒川神社境内に入り神門の外に位置して寒川神社神輿の発輿を待つ。
 これらの神輿は午前2時30分に寒川神社の社頭を立ち、寒川神社の神旗・太鼓・五色の神旗・日月旗・榊・寒川神社の神輿・同社宮司・以下菅谷神社・倉見神社・八幡大神の順に各神輿が行列を作って神幸をする。
 往路では一之宮の両替の沿道で、地元の人たちが麦からを燃やして行列を見送る。午前6時30分に禊場である茅ヶ崎市南湖の浜に着いた神輿は、それぞれ海に入り勢いよく清められる。この時、勢いがよければよいほど神がよろこぶとされている。清められた神輿は砂浜を練り歩き、竹で作られた門を潜って祭場の定められた位置に着輿する。これより先、午前5時には一番神輿が浜に入場してくる。それに続いて順次各地区の神輿が浜へ降りて来て定められた位置に着輿している。
 下図のように位置した神輿の前に案が置かれて祭典が執行される。祝詞が奏上され、そして、献饌の儀が始まる。献饌は稲、神酒、赤飯、魚、海藻、野菜、水と塩(これには海水を用いる)、以上のものを台にのせて献上する。寒川神社の神輿に対しては特別な扱いがなされ、前日には神輿が着輿する砂の上に御旅所神主の天孫家がホンダワラを敷き、当日には着輿した神輿にワラサ(今ではマグロ)が献じられる。
 祭典が終了した午前8時に各神輿が一斉に祭場を発輿し、寒川神社の神輿は復路、萩園・田端・一之宮・寒川駅周辺の各行在所を経て午後2時に本社に還幸する。(渡御ルートはこちらから


  一昔前の浜降祭
  浜降祭今昔物語にも書いているが、昔は寒川神社を出発した神輿は、途中一之宮にて菅谷神社の神輿の迎えを受けて合流し、田端→萩園→浜之郷へと二基の神輿は付かず離れずに仲良く渡御して行く、そして鶴嶺八幡社にて近隣から参集した多数の神輿の迎えを受けてこれらと合流し、一列になって禊場である南湖海岸に向かったのである。南湖海岸までの神輿の順序は決められた順位によって列をつくって進んで行く。先頭は鶴嶺八幡社(茅ヶ崎市浜之郷)であり、中央に寒川神社、その後に菅谷神社(寒川町岡田)となる。あと、八坂神社(茅ヶ崎市中島)、腰掛神社(茅ヶ崎市芹沢)などが続く。その他全体の神輿の列順位は毎年、寒川神社に集まって各社総代により抽籤で決定された。

浜降祭の祭場(昭和63年)
日吉神社
鶴嶺八幡社
本 社 宮
神明大神
三島大神
松尾大神
日枝神社
八 幡 宮
神明大神
八雲大神
諏訪神社
八王子神社
八王子神社
熊野神社
諏訪神社
八幡大神
熊野神社
八幡大神
倉見神社
菅谷神社
寒川神社
腰掛神社
八坂神社
厳島神社
八坂神社
八大龍王神
第六天神社
神 明 宮
住吉神社
御霊神社
金刀比羅神社
八雲神社
茶屋町大神宮
(西久保)
(浜之郷)
(矢 畑)
(円 蔵)
(萩 園)
(今 宿)
(中 島)
(柳 島)
(下赤羽)
(上赤羽根)
(下寺尾)
(室 田)
(菱 沼)
(小和田)
(香 川)
(甘 沼)
(高 田)
(一之宮)
(倉 見)
(岡 田)
(宮 山)
(芹 沢)
( 堤 )
(新 町)
(本 村)
(中海岸)
(十間坂)
(十間坂)
(南湖下町)
(鳥井戸)
(南湖上町)
(南湖中町)
(茶屋町)








斎主

























典儀




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