南 駒ヶ岳
 ( 標高 : 2,841 m )
    N  35°42′05″
    E  137°48′39″
地図はこちらをクリック⇒

1 所 在 地 : 長野県上伊那郡飯島町
              /木曽郡大桑村の境
            飯田線田切駅の西11km

2 山名の由来 : 連峰南端の高峰のために南駒ケ岳
            と名付けられた

3 雪   形 : 摺鉢窪カールの上部に「五人坊主」の
           雪形が有名
           近くの越百山(こすもやま)の北の峰頭
           に「牛天神」の雪形
           田切岳に「種まき権兵衛と駒」の雪形
           が出る



 南駒ケ岳を代表する雪形は「五人坊主」。摺鉢窪カー
ルの上部(南駒ケ岳)の稜線直下に、五つの黒い点が
現れる。
 これが現れると、農作業を始める目安とされてきた。
 五人坊主が見える場所は、飯田町の与田切川寄りか
ら七久保地区辺り。

 南駒ケ岳から仙涯嶺を越えて南の山「越百山(こすも
やま)の北の峰頭に、5月上旬から下旬にかけて「牛天
神」と云われる雪形が現れる。
 これは天神様の使いと云われ、右を向いているような
牛の雪形が現れる。
 私は、これを牛ではなくて駒に見たいのであるが、一人
よがりであろうか。
 さらに調べていくと、次のような資料にめぐり会ってしま
った。



南駒ケ岳の山名の由来

 明治時代の陸軍省陸地測量部が、正式の地図を作るために当時飯島村の山岳地帯に入った時に始まり、何回か測量が行われた中の明治44年の時、小林義夫助役も同行した際の手帳に、次のような内容が記載されているという。

 「陸地測量部桜井技師と七久保・赤穂の村境再調査の折、中田切川上流小袋石の所にて休息をなし、ひとつの高峰を指し、彼の山連峰中第二の高峰にて九千四百尺あり未だなんら名称なし、地図上には名称必要なり、何と命名すべきかと談話中、予は連峰中の南端の高峰たるにより南駒ケ岳とするが適当ならんと答う。桜井技師も賛成、地図に記入することを承諾す・・・・・」
         飯島町史 下巻・現代民族篇から抜粋

 

 これによると、南駒ケ岳はの山名は、雪形からではない
ことがハッキリしてしまった。残念ながら、これを認めざる
を得ない。
 しかし、さらにこの辺りを調べていくと、田切岳の北側の
谷にひだに「種まき権兵衛と駒」が現れることが分かった。これが、せめてもの慰めである。
 5月中旬から6月上旬にかけて現れ、麓では田植えの
目安とされてきた。

中央が南駒ケ岳、右:田切岳、左:仙涯嶺 
 写真:毛賀澤 貢氏 (1996年5月)


「牛天神」の雪形 (2001年5月13日)
 写真: 毛賀澤 貢 氏


「種まき権兵衛と駒」の雪形(2001年5月13日)
 写真 :毛賀澤 貢 氏 


田切岳の「権兵衛」と「駒」
 イラスト:田淵行男著 「山の紋章。雪形」から