青春18切符を使って・その2 < 東北 >

2007/7/30
1日目
 平泉 - 花巻(泊)
2日目
 花巻 - 遠野 - 花巻 - 早池峯神社(泊)
3日目
 早池峯神社 - 花巻 - 盛岡 - 渋民 - 盛岡 - 花巻(泊)
4日目
 花巻 - 多賀城跡 - 松島

 

<  1日目 平泉、花巻  >

 

 

 去年の夏は近江八幡から鯖街道を走って天橋立。翌日は丹後半島を一周した。 「今年はどこを走ろう。」能登半島は大きな山越えもなく、見学箇所も多い。東北へも行ってみたい。盛岡から小岩井農場、角館方面。下北半島や三内丸山遺跡なども見てみたい。三陸海岸へも行きたい。いろいろ考えるがプランがまとまらない。そんな状態でヒョッコリ仕事の区切りがついたのが7月の末。

 7月31日は早池峰神楽の宵宮である。電話を入れてみると、予想通り宿は既に満杯。加えて天候も思わしくない。梅雨が明けきらず、寒気の南下に伴い、宮城、福島は雨の予報。

 直前まで迷ったが、最悪の場合は野宿を覚悟。レスキューシートを用意して、濡れてもいいように荷物は全てビニールで包んで、思い切って出発する。

 


 

< 平泉 >

 

 各駅停車を乗り継いで北へ向かう。黒磯を過ぎると電車の編成が短くなって、「遠くへ来たな。」という感じが強くなる。郡山を過ぎる頃から予報通り雨が降り始めた。雨粒が電車の窓を打つ。山に挟まれた盆地を走っていく。車内の冷房が効き過ぎて、ウインドブレーカーが必要である。車内は込んで来たり、乗客がまとまって下りて空席ができたりを繰り返す。

 仙台を過ぎる頃、海が見えた。この辺りが松島なのであろう。乗客たちの中に軽いざわめきが起きる。幸いなことに雨が小降りになって来た。どうやら前線を通り過した模様。

 家を出たのが5時。東海道線で東京。上野駅が7時。宇都宮は8時42分。黒磯9時35分。郡山10時40分。福島11時53分。白石12時33分。仙台が13時25分。一ノ関15時22分。平泉がに着いたのが15時35分。9回乗り継いで、合計10時間半。奥州(みちのく)は遠い。

 



<  特別史跡無量光院跡  >


                 藤原秀衛が宇治の平等院を模して建てた     


                     地元では平泉を世界遺産にという運動がおきている       

 

 自転車を組む。中尊寺は駅から1.5 km。途中、無量光院跡に寄る。マイクロバスで来た客が説明を聞いている。無量光院は3代藤原秀衡が鳳凰堂を模して建てたとある。姿の良い赤松が庭園の名残を残している。

 中尊寺は丘陵の突端部に建てられていて、杉の巨木が並ぶ参道は手入れが行き届いていて、苔の緑が美しい。本堂へ参拝の後、宝物殿、金色堂を見学する。金色堂は金箔も真新しく、螺鈿細工などの精緻な細工で覆われている。古代の東北地方は経済的にも豊かで、最先端の文化を持っていたことがわかる。

 毛越寺に寄る。庭園跡は写真で見たままである。池の対岸に寺院の基壇があって、周囲の赤松などが美しい。

 


               中尊寺金色堂 


                    毛越寺跡  


 

< 平泉駅で >

 

 花巻行きの電車を待っていると、高校生が私に話しかけてくる。「この袋は何を運んでいるのですか。」

 隣町に住んでいて、農業高校へ通っているという。自転車だと答えると、「自分の学校にも自転車部があって、選手は福島の大会などへも遠征します。」「電車に乗らず、自転車で野宿しながら行くといっています。」「今日は『平泉を世界遺産にする』集まりに参加して来ました。」「友達を誘ったが、誰も興味を示さないので私一人です。」「自分は農業が好きで、家に自分用の畑があって、作物をいろいろ試しています。」「将来は跡を継いで農業をやるつもりです。」「家の田んぼは7ヘクタール余り。今年は日照不足で病気がでないか心配です。」「深水栽培といって、日が照れば水位を下げて根元まで光を当て、気温が低い時は水位を上げて調節します。」

 年齢にしては少し小柄に見えるこの少年と話していると、宮沢賢治のことが連想された。7ヘクタールが農家の規模として大きいのかどうかは知らないが、農業の将来に希望が持てることをただ願うのみである。

 

 

< ハプニング >

 

 電車が平泉を出て間もなく、私の乗った車両 の前の方で騒ぎが起きた。乗客の一人が通路に倒れていて、周囲の乗客が介抱している。車掌が駆けつけ電車は次の駅で停車する。車内放送が緊急事態を知らせると、隣の車両から「わたしは小児科の医者だが。」と医者が駆けつけてきた。「救急車を手配しましたが、無人駅なので、患者を救急車に引き継いでから発車します。」との放送が入る。

 周囲は森で人家もない。救急車はどのくらいでこられるのか。この分では日暮れまでに宿には入れないだろう。いつも目一杯走るので、宿に着くのが遅くなってしまう。知らない土地で暗がりの中、宿をさがすことも多い。時間が気になるのは私だけではないようだ。向かいに座った男性もしきりに時計を見ている。しかし誰一人不満をいうものがいない。

 結局15分程停車していただろうか、遠くからサイレンの音が聞こえて来て、駅前でとまった。引き継ぎにも時間がかかり、ようやくのことで医者と車掌が乗って、電車は走り始めた。

 

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