青春18切符を使って・その2 < 東北3日目 >

2007/8/1
--- 早池峯 -- 盛岡 -- 渋民 -- 盛岡 ---


 

 朝、皆が雑魚寝した大広間を片付けて朝食の膳が並ぶ。みそ汁や漬け物がうまい。隣のひとが話しかけてくる。「自分も自転車が好きで古いランドナーに乗っている。」「コッターピン付きのクランクですからね。」「ここへも10年程前、キャンプをしながら自転車で上がって来ましたよ。」「山が好きなので早池峯山にも登ります。どうです、一緒に山に登って行きませんか。」

 しかし、今日は啄木をたずねる予定である。

 


 

 国道396へ戻って、盛岡へ向かう。大型車も多い。昨日とは違って朝から真夏の日差しが照りつける。早めに日焼け止めを塗る。この日東北地方の梅雨が明けた。

 

< 啄木父子の歌碑 >

 

 盛岡駅の手前で啄木、父子の歌碑を見つけた。啄木の父が歌を詠むことを初めて知った。改めて父と子を比べ、啄木の生き方は父に似ていると思った。血のなせる技か、はたまた子は父の生を生き直すということか。現状に満足できず、更なる境遇を急ぐあまり世渡りが拙い。しかし歌については残念ながら父は啄木ではなかった。

 


                             啄木父子の歌碑

中津川流れ落合う北上の早瀬を渡る夕霞かな     一禎

中津川や月に河鹿の啼く夜なり涼風追いぬ夢見る人と 啄木



 

< 啄木新婚の家 >

 

 盛岡駅のインフォメーションで市内の地図をもらう。盛岡城跡の堀に沿って走り、有名な石割り桜を見る。啄木新婚の家はそのわずか先である。昨日の調子で走るとつい走り過ぎてしまって、何度も引き返す。遠野や花巻ではちょっと先といわれると5km、10kmだったから、距離感が狂ってもしかたない。新婚の家には旅行案内を手にした観光客がちらほら訪れている。もともとは茅葺きだったという。同じような家の立ち並ぶ、当時の街の情景を想像する。雪がぬかるむ冬の景色である。

 


           盛岡市内にある啄木新婚の家   


         同室内

 


 

< 旧盛岡高等農林学校 >

 


                      旧盛岡 高等農林学校本館

 

 

  旧盛岡 高等農林学校本館 (岩手大学農学部. 附属農業教育資料館)に寄る。教授たちにまじって、賢治が収集した石の標本などが展示してある。入り口前に啄木の妻、節子の生家跡だとの説明板を見つける。啄木の妻、節子(旧姓掘合)の生家は、岩手県岩手郡上田村上田新小路十一番地とされ、旧盛岡 高等農林学校本館前の温室あたりだったとの説明がある。

 国道4号線を走る。大型車は多いが牧場や大学、農業センターなどがあって緑が多い道である。それに、何より今日は岩手山が見える。昼に近くなり気温がぐんぐん上がっている。

 


 

< 渋民 >

 

 渋民の啄木記念館に着く。隣が啄木が少年時代を過ごした宝徳寺である。しかし宝徳寺は改築され、新しい建物になっている。渋民尋常高等小学校、斎藤家が移築されている。前は奥州街道。街道をはさんで真正面に岩手山が大きい。

 


            渋民尋常高等小学校の校舎 

 

 記念館で啄木が生まれた常光寺への道順を教わる。「大きな交差点を過ぎたら最初の信号機を左折。次の信号機をまた左折です。」しかし走れど走れど信号機がない。道は上ったり下ったり。人家も少ない。あるのは田んぼと低い里山。道は左右にカーブを繰り返す。昼を過ぎて、気温は上がる一方。どうやら梅雨が明けたようで、体が順応しない。

 


 

< 常光寺 啄木生誕の地 >

 

 エゾ蝉がギーコギーコ鳴いている。どこまで走っても同じような道。田んぼと丘陵が続く。ようやく教わった2つめの信号にでて、左折する。両側に低い山。田んぼの間の一本道である。村の屋根越しに杉の巨木が見えてくる。神社かと思ったが、前まで来て、ここが常光寺と知れる。大きな杉で、今では門前を完全に塞いでしまっている。脇に金田一京助の書による生誕の地の碑が建っていた。しかし啄木にとって、生誕の地はどれほどの意味があるのか。案内に啄木は誕生から約1年、宝光寺へ移るまでこの寺で暮したとある。常光寺も建て直されて、当時のままではない。

 


                           常光寺


            常光寺参道


                   石川啄木生誕の地の碑

 


 

 当初の予定では渋民から小岩井農場へ回るつもりだった。しかし体が暑さに順応しない。今回はそのまま盛岡へ戻ることにする。

 

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