< 青春18きっぷを使った 伊勢、吉野、熊野など5日間のツーリング  >

 

2007/4

1日目
 豊橋 - (渥美半島)伊良湖 - (フェリー)鳥羽 - 二見浦 - 伊勢
60km
2日目
 関 - (大和街道)伊賀上野 - (名張街道)大宇陀 - 吉野
120km
3日目
 和歌山 - 湯浅 - 白崎海岸 - 田辺
120km
4日目
 田辺 - (中辺路) 熊野大社 - 熊野速玉大社 - 那智
120km
5日目
 近江八幡 - 彦根 - 長浜 - 不破の関跡 - 大垣
100km

 

J R 発足20周年ということで、青春18きっぷが今回は8,000円。
仕事の区切りついでに休暇をとって桜の吉野、そして熊野へも足を伸ばすことにする。
各駅停車を乗り継ぐローカル線の旅はことのほか楽しかった。

 


 

< 渥美半島 >



                            伊良湖

 

 始発電車に乗る。熱海、島田、浜松と乗り継ぎ、豊橋に9時45分着。駅前で自転車を組み立て、伊良湖へ向かう。高師の松林。古くは更級日記に「ゐのはなといふ坂の、えも言はずわびしきをのぼりぬれば、三河の国の高師の浜といふ」とあり、戦前は第15師団がおかれた。

 梅田川を渡り、老津。

 

 

 「笈の小文」で芭蕉は保美に流された杜國を訪ねる。吉田(豊橋)で一泊の後、老津に差し掛かる。「 あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所也。」

 芭蕉が杜國を訪ねたのが旧暦の11月10日。新暦では12月も半端。伊吹山で雪を降らせた季節風が空っ風となって濃尾平野に吹き下ろす。田んぼの中の吹きさらしの道はさぞかし寒かったことであろう。

 

    冬の日や馬上に凍る影法師    芭蕉  

 

 

 右手に田原の蔵王山が見えてくる。田原は渡辺華山が蟄居自刃したところ。田原を過ぎると野田、宇津江。ここで海がひらけ、松林越しに三河湾が一望される。江比間、伊川津、石神と走って福江。伊良湖岬は間もなくである。

 


 その後、芭蕉は杜國を伴い伊良湖岬で遊んでいる。「保美村より伊良古崎へ一里計も有べし。三河の国の地つゞきにて、伊勢とは海へだてたる処なれども、いかなる故にか万葉集には、伊勢の名所の内に撰入られたり。此洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらこ白といふとかや。骨山と云は、鷹を打処なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など歌にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし、 」

 

     鷹一つ見付てうれしいらこ崎    芭蕉

 

 伊良湖で鷹の渡りが見られるのは10月の初旬。芭蕉が訪れた12月は時期が少し遅い。

 


 

< フェリー >

 

 快調に走って伊良湖岬に着く。次の便が間もなく出るというので、急いで乗船する。

 港を出たフェリーは、いったん止まって逆方向へ向きを変え、エンジンを全開にして大きく円を描いて鳥羽に向かう。四月だというのにデッキに立つと風はまだ冷たい。他の乗客たちもデッキに出たり、客室に戻ったりしながら景色を楽しんでいる。

 


                     伊良湖岬

 


潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を     柿本人麻呂

 

 伊良湖岬がだんだん小さくなる。鳥羽方面から見る伊良湖岬は小さな島のように見える。

 


 

< 伊勢 >

     

 鳥羽に着く。空気が澄んでいて、南国のような光が眩しい。二見浦に立ち寄る。伊勢では平成25年に式年遷宮が予定されて、街道沿に「祝 お木曳」の幡が揺れている。

 そういえば芭蕉も大垣で奥の細道の旅を終えた後、式年遷宮を見るため舟で桑名へ下ったとある。

 


夫婦岩   

二見浦   

 

<月読宮>

 

 伊勢神宮の別宮の一つ、月読宮に立ち寄る。伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮、月読宮、月読荒御魂宮の四社が並んでいる。寺院では一つお堂に何体かの仏像が並ぶが、ここでは4棟が独立している。それが目新しい。

 

 

<内宮>

 


                            御殿地

 御幸道路は道の両側に石灯籠が並んで、独特の景観を作っていた。月読宮では参拝客もちらほらだったが、さすが、内宮は大勢の参拝客で混雑している。玉砂利を踏んで参詣する。正宮脇に石を敷き詰めた古殿地が広がっている。静ひつな時間が流れている。

 裏手に荒祭宮がある。天照大神の荒魂を祭る。寺は人々が仏になるために修行を行う道場なので、人間の身体尺度をもとに作られるが、社(やしろ)は神の御魂を留めるためのもので、人間の身体尺度とは基本的に異なる。伊勢神宮の建築としての魅力はその単純性とともに、尺度の抽象性にあるのではなかろうか。

 


 

 

< 焼き畑の記憶 >

 元伊勢神社といわれる神社が全国で27社ある。伊勢神宮がこの地におさまるまでに、奈良、丹後、尾張など各地を転々とした。また伊勢に留まってからも20年ごとに社殿を変える。

 遷宮の意味についての記録はない。

 日本列島で人々が定住生活を営むようになるのは、水田が開かれてからのことであろう。土地所有が戦いと権力機構を生み、やがてクニの誕生となるのだが、しかし未だ焼き畑で穀物や豆類を栽培していた時代や、新たな漁場を求めて移動する海人族にとっては一箇所に定住することこそ異常なことである。

 我々は知識の中で縄文人と弥生人を別人種のように理解し、当然のことのように文化の断絶を想定するのだが、縄文から弥生へという文化の連続性の中でカミを考えた時「移り住む神」の存在はごくごく自然なあり方に見えてくる。

 

< 仮 屋 >

 


          道祖神 小田原


 
              精霊棚? 静岡  

 古い時代には神社には社殿がなかったという。南方の御嶽(うたき)などのように自然の地形や大きな岩などを聖なる場所としたか、あるいは、河原や村はずれの広場など、異界に近いと思われる場所に臨時の斎場を設け、現在の地鎮祭のように縄で結界を結び、寄り代(よりしろ)を置いたことも考えられる。神は人々が必要とした時に降臨し、ことばを告げ、神送りされたことであろう。

 多くの神社が川の右岸にある。西に大道、東に流水というように、風水によるものだろうが、精霊流しや流し雛、七夕飾り流しなど神送りが川と関係が深いようにも私には思われるのだ。

 


 

< 伊勢うどん >

 松坂にも寄りたかったが、今日は初日ということで早めに切り上げ、伊勢うどんを食べる。柔らかめの太い麺。タレは真っ黒でどんぶりの底にわずかしかない。しかも真っ黒なのに辛くはない不思議なうどんである。

 レジの横に小さな水槽があって、不釣り合いに大きな金魚が2匹泳いでいた。

 

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