< 2日目 >

2007/3

--- 亀山 (大和街道) -- 伊賀上野 (名張街道) -- 大宇陀 -- 吉野 ---

 

花曇りにしては、どことなく様子が違う。黄砂だった。
一日走るとタイツが砂埃で真っ白になった。

 


 

< 関宿 >

 

 以前から花の時期に吉野へ行ってみたいと思っていた。しかし吉野の桜は4月の中旬。この時期では休みが取れない。しかし今年は記録的な暖冬の影響で、気象庁は開花の時期が10日も早まるとの予報。(後になって計算ミスだったことが分かり修正されたが)運良く仕事の区切りもついたので、これ幸いと出かけてみる。

 奈良から天理、明日香経由にするか、久居から青山峠を越える伊勢街道にするか、加太越えの大和街道を走るか、地図を見ながら散々迷ったが、亀山から大和街道で伊賀上野、室生、長谷、大宇陀を通って吉野に入ることにする。このルートは大海人皇子が壬申の乱で、吉野から関ヶ原へ急いだ道でもある。



                     旧東海道 関宿

 

 亀山で自転車を組む。旧東海道の宿場、関宿に立ち寄る。旧街道の雰囲気がよく保存されている。宿場の外れに大きな鳥居があり、ここが伊勢別街道への追分である。早朝の旧街道は人影もなく静かであった。

 大和街道は走り始め当初は車も少なく、のどかな山道だった。しかし途中、砕石鉱山があって、大型ダンプが走り回っている。狭い旧道ではダンプとすれ違うのに緊張を強いられる。

 伊賀盆地へ入り、やがて国道と合流すると、程なく伊賀上野である。

 

 

<古東海道>

 

 大海人皇子が吉野出発時に駅鈴を求めさせたり、途中、駅家を焼き払ったりしているところから、加太越えのこの道が当時の東海道だと考えられている。

 鈴鹿市考古博物館の新田剛氏は加太越えルートで、「金王道」を通り安濃津から御津を結ぶ「東海道(あづまのうみつみち)」を古東海道に想定している。(日本古代道路事典 - 古代交通研究会編による)

 それより古い時代、東海道は渥美半島を通っていたとする説がある。竹内街道で藤原京へ。伊勢本街道経由で渥美半島に渡るルートである。

 私は青山峠を越えるルートが気になっている。難波宮と平城宮、安濃津を結ぶと一直線になる。何より太宰府と東国を結ぶには最短となる。

 

 


 

< 伊賀上野 >

 伊賀上野は芭蕉の生誕の地である。芭蕉は江戸に出た後も度々帰郷している。「笈の小文」などに、その折の様子が綴られている。

     古里や臍のをに泣くとしのくれ   はせを

 芭蕉の生家跡に立ち寄る。生家跡は市街地にあって屋敷はそれほど広くはない。奥の離れを釣月軒といい、芭蕉はここで「貝おほひ」を執筆した。芭蕉の生家のすぐ裏手が旧大和街道で、城下町らしく道が鉤の手になっている。市内には蓑虫庵、芭蕉翁記念館などがある。

 

 


                    蓑虫庵 

 

 


                 芭蕉生家 

 

 


              鍵屋の辻

 荒木又右衛門で有名な鍵屋の辻に寄る。坂のたもとにあって、映画のイメージとは少し違っていた。ここから名張街道を南に下る。名張、室生、長谷と走って、大宇陀の町中に入る。宇田川を堀のようにうまく利用し町の防御としている。

 


 

「 大宇陀町松山地区 」

 


 大宇陀町松山地区は豊臣家配下の大名の城下町として成立。元和元年(1615)に織田信長の次男信雄の宇陀松山藩として城下町の整備がすすめられた。宇田川と背後の城山という地形を生かして町づくりが行われた。元禄年間の織田氏転封後は交通の要衝として特産品の「吉野葛」「宇陀紙」、薬問屋などの各種問屋や小売商などが軒を並べて、「宇陀千軒」と呼ばれる繁栄を誇った。(案内板より)

 

 


大宇陀の古い町並みを観光客がゆっくり散策している。

 


 

< 吉野 >


願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃   西行

 

 吉野山の入り口に着く。さすがシーズン、ガードマンが二人交通整理にあたっている。桜の満開には少し早いが結構な人出である。旅館や土産物屋の並ぶ通りは観光客であふれている。気象庁の開花予想を信じて、この時期に来たが、やはり少し早かった。

 お祭りの縁日のような人の流れの中を私は自転車を漕いで上がって行く。山桜は開花時期に個体差があるので、つぼみもあれば満開もある。遠くが煙って見えるのは黄砂によるもので、思いもしなかった黄砂にかすむ吉野山である。

 

 

< 西行庵 >

 

 西行庵は芭蕉の「野ざらし紀行」にあるように、金峰神社から右手の山中にあった。奥千本と呼ばれるこのあたりの標高は約700m、桜は固いつぼみである。庵までは山道や石段を押して行かねばならない。途中の泉で水を汲む。猿か鹿しか訪れないような深い山の中である。

 吉野と熊野をつなぐ修験道の道に沿っているとはいえ、月の無い夜や強い風の時はさぞ心細いことであろう。

 

 


                      西行庵

 西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計分け入ほど、柴人の通ふ道のみわづかに有て、嶮しき谷を隔てたる、いとたふとし。 彼とくとくの清水は昔に変はらずと見えて、今もとくとくと雫落ける。


露とくとく試みに浮世すすがばや   芭蕉

 

 

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