ご 由 来



江戸時代の須賀港


(新編相模国風土記稿)



えびす様御姿



明治時代

須賀のまつり

御祭神  大山祇命(おおやまづみのみこと) 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)



 大山祇命の神様は、清浄なることを尊ぶ神さまで、悪しき災難を退け、


直き正しき心身をお守り下さります。あらゆる「厄災」を退け、心身健康


病気治癒など身体健全のご神徳があります。


事代主大神の神様は、別名「えびす様」で親しまれ、「大きな鯛」を抱かれた


福徳円満のお姿の通り、人々に「開運」を導き、商売繁昌や豊漁豊作をはじめ、


諸産業の繁栄のご神徳があります。古くから皇居の八神の御一柱としても


お祀りされており極めて尊厳の高い神さまです。

= お宮の豆知識 =


日本最古の書物「古事記」や「日本書紀」など文献から、大山祇命様と


事代主大神様は、それぞれの娘さまが皇室へ嫁いでることが記されてます。


現在も皇居では御縁(みゆかり)のある神さまとして宮中の神殿にお祀り


されてます。良縁成就と安産のご加護、子孫繁栄や家庭円満にとても


ご神徳のある神さまです。



= 御  創  建 =



古代の人々が(1000年以上前)、この地に足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤

ができた頃といわれておりますが、文献などもなく定かではありません

古文書や江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などから平安時代(794年〜)

当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、「薬師三島明神の本地仏なり長一尺五寸弘法の

作と伝」と記し、ご社殿に神さまと本地佛薬師を祀られてることが記されてます。

その頃から人々の信仰を集めていたと思われます。

時代と共に港町として発展し、戦国時代の永禄9年(1566年〜)には、大名の小田原

北条氏から魚類や船運業の集散地として手厚い保護をうけ、江戸時代(1600年〜)

には幕府公認の港として、相模国(神奈川県)の穀物と資材等を江戸や千葉の

房総半島へ運搬する海運業の要所として栄えました。

当神社も港町の総鎮守(そうちんじゅ)として、住民や魚商業、回船業の方々から

厚い崇敬の念を集めました。江戸時代半(1670年〜)には「須賀千軒(すかせんげん)

といわれるほど商店や民家が増え、相模国の海運・海路の玄関口として大いに

発展しました。

特に大山など山岳信仰が盛んになると、江戸や伊豆、房総半島から大勢の旅人

が船で須賀港に寄港し、当神社に参拝し、道中の安全と心身の守護を祈願する

慣わしがありました。

現在も、港町の総鎮守として「明神さま」「湘南のえびす様」の御名で親しまれ、

お店や会社の「商売繁昌」、家庭の「家内安全」など家庭円満や目標達成をもたらす

神社として多くの方々から厚く信仰されてます。

また、近年では「湘南ひらつか七福神」の一社、「開運のお宮」として広く遠方の

方々がご参拝になられてます。


 [ 江戸幕府 提出帳文 天保6年(1835年) ] 

一 祭礼。定日ハ隔年九月二十九日。 神輿村中巡行之上 浜下ニテ、即日相済申候。

規式ノ起コリノ義、相分カリ不申候。但、別当ハ、檀林学頭、本寺之格ニテ供奉仕候。

尤モ、休年ハ、護摩法楽。神楽計リニ御座候。又、毎年六月朔日、社頭ニテ、大般若経転

読仕候。其他、年中数度、祈祷法楽仕 国家静謐奉祈候。

(江戸幕府へ提出した文献記録:当時のお祭りも、神輿が地域を巡行し、浜降りをしていたのが伺えます)


= 境 内 社 (けいだいしゃ) = 

(様々なご利益のある神さまが境内におまつりされています)

 伊邪那岐社 (いざなぎしゃ)
  子 宝(国 う み)の 神 さ ま
 弁 天 社 (べんてんしゃ)
  財 運 ・ 芸 能 の 神 さ ま
 厄 神 社 (やくじんじゃ)
  子 供 の 病 よ け の 神 さ ま
 石 神 社 (いしがみしゃ)
  健 康 長 寿 の 神 さ ま
 忠 魂 碑 (ちゅうこんひ)
  英 霊 を 称 え る 祈 念 碑