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 与一甚句(よいちじんく)

作詞  陶山卯佐治

・・・・・ セエー さあさエー みなさま お唄いなされヨー
       歌じゃエー ご器量はヨー 下がりゃせぬー ・・・・・

一、 片葉(かたば)(あし)

セエー 聞いてください 聞いてください みなさまよ

真田与一(さなだよいち)の  幼名(おさなな)
丈夫(じょうぶ)(そだ)てと  荒千代(あらちよ)
けだし幼少(ようしょう)  病弱(びょうじゃく)
高熱発(こうねつはっ)し  意識(いしき)なく
乳母(うば)吾妻(あづま)は  大山(おおやま)
平癒祈願(へいゆきがん)に  お(まい)りし
全快(ぜんかい)かなうが  おそわれた
片葉(かたば)(あし)に  (たす)けられ

二、 三浦党(みうらとう)
三、 与一(よいち)
四、 七騎落(しちきお)
五、 頼朝(よりとも)

セエー 聞いてください 聞いてください みなさまよ

セエー 真田名代(さなだなだい)

セエー 聞いてください 聞いてください みなさまよ

セエー 聞いてください 聞いてください みなさまよ

・・・・・ セエー 輿をエー 降ろせイー ・・・・・

真田与一(さなだよいち)の  父親(ちちおや)
岡崎四郎(おかざきしろう)の  義実(よしざね)
武勇名高(ぶゆうなだか)き  白旗(しらはた)
恩義深(おんぎぶか)き  三浦党(みうらとう)
土屋義清(つちやよしきよ)  (おとうと)
一族(いちぞく)そろって  戦立(いくさだ)
(てき)三千(さんぜん)  平家軍(へいけぐん)
味方三百(みかたさんびゃく)  源氏軍(げんじぐん)

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(はる)花咲(はなさ)く  真田城(さなだじょう)
(あき)稲穂(いなほ)の  黄金色(こがねいろ)

聞いてください  みなさまよ

真田与一(さなだよいち)と  いう(ひと)
源氏旗挙(げんじはたあ)げ  そのときに
文三文六(ぶんぞうぶんろく)  ひきつれて
(あめ)石橋(いしばし)  (やみ)のなか
俣野五郎(またののごろう)を  ()()せて
太刀(たち)()けども  ()けやせぬ
(こえ)()せども  (こえ)()
あわれ与一(よいち)はよ  (はな)()

石橋敗(いしばしやぶ)れ  真鶴(まなづる)
(はま)から安房(あわ)へ  ()ちんとす
義実(よしざね)おりろと  ()われしを
ふたつの(いのち)で  (つか)えたが
与一失(よいちうしな)い  おりられん
土肥(とい)遠平(とおひら)  (ふね)おりる
七騎(しちき)(さむらい)  武者震(むしゃぶる)
頼朝天下(よりともてんか)の  船出(ふなで)なり

与一戦死(よいちうちじに)(討死)((うちじに))  頼朝(よりとも)
(いのち)があれば  (とむら)うぞ
伊豆山権現(いずさんごんげん)  参詣(さんけい)
石橋山(いしばしやま)を  (おとず)れし
(おも)わず(なみだ)  とめどなく
魁秀明神(かいしゅうみょうじん)  (たてまつ)
証菩提寺(しょうぼだいじ)  建立(こんりゅう)
頼朝厚(よりともあつ)く  追善(ついぜん)

写真は、治承4年8月23日大雨の石橋山で、
    闇夜のなか組み合う
真田与一義忠と俣野五郎景久

*作詞者陶山氏のご好意により、ここに平成14年10月19日平塚市文化財団主催で行なわれた「相模武士の誉」・・・・「与一甚句」(出演:与一神輿保存会のみなさん)の甚句を掲載させていただきました。
サイト容量の関係上、「石橋山の戦」の場面「二、三浦党・三、与一・四、七騎落ち」のみを掲載させていただきました。
下のスイッチを使用して、お聞きください。
                [編集]MP3(64kbps)2.39MB,5分
[真田与一義忠についての詳細は、土屋氏一族について 5.真田与一義忠のこと」に掲載されています
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