土屋の里山
土屋の雑木林で遊ぼう
かって(昭和35年ころまで)は、竃(かまど)や風呂の燃料は薪や粗朶(そだ)が主役でしたが、石油やガスや電気の急速な普及でその姿が次第に見られなくなりました。薪や粗朶の時代には、雑木林(主にコナラ・クヌギ・ミズキ・エノキ等で構成)の手入れ(下刈り、落ち葉かき、間伐等)が12〜15年の周期で行なわれ、いつも整然とした林や森が広がっていました。これによって林床にはヤマユリ・シュンラン・ジエビネ・キンラン・ギンラン・ホウチャクソウ・フタリシズカ・ヒトリシズカ・オオバギボウシ・ヤマスミレなどが、また低木のアケビ・ウツギ・ヤマツツジ・ガマズミ・クリなとが豊富に自生していました。また、カブトムシ・クワガタ・カナブン・アシナガバチ・カミキリ等の昆虫類も樹液を求めてやってきます。メジロ・ウグイス・シジュウカラ・ヤマガラ・ヒヨドリなどの野鳥もたくさんいました。
雑木林は、私たちの先祖が長い長い年月をかけて、荒れ果てた野山を開墾しコナラやクヌギを植えて、大切に大切に手を入れながら育ててきて、生活の糧にしてきました。
春夏秋冬、それぞれの季節ごとに多様な変化を私たちに見せてくれる雑木林・・・・・・・・・その手入れの行き届いた雑木林で、子どもの頃は駆けずり回ってさまざまな遊びをしたものです。チャンバラゴッコ・木登り・かくれんぼ・小刀での造作(スギ鉄砲や水鉄砲づくり・ブッツメづくり等)・栗ひろい等・・・・・楽しかった毎日でした。
近年ではその雑木林も、林床では篠竹がいたるところに生い茂り占拠され、林の中は通風や日照が極端に遮断されたため、雑木は40年以上も放置され老化現象とともにその多くが朽ち果てています。
また、山道沿いには、大型家具や家庭電化製品、オートバイ、タイヤ等がこの雑木林に放り投げられています。なんと、情けない姿でしょうか。市民の常識が疑われます。行政、警察、自治会等でこれを食い止めなければなりません。
そこで、これをなんとか少しでも食い止め、子ども達のために本来の(本物の)雑木林を残してあげようと立ち上がました。(土屋の里山を蘇らせる会)
まずは、市民のボランテアにより、雑木林に生い茂った篠竹から伐採し始める作業にとりかかりました。
雑木林を蘇らせようという気持ちを持っている人々がひとりでも多く参加して、その輪を広げていきたいと思います。
手入れされた雑木林で、子ども達に雑木林や畑で木登り・ターザンごっこ・竹笛づくり・昆虫採集・くずかき・落ち葉ソリ・土いじり・種まき・芋掘りなどを体験していただき、「子ども文化」を育んでいけたらいいなと思います。
自然は、人を和やかに豊かにし、生きる力を与えてくれます。知性・感性・情操のバランスのとれた豊かな人間性と健康な子どもの育成には、里山のような、土・木・水のある自然環境が必要な条件となります。
$$$ 先人のワンポイント・アドバイス $$$
”木元 竹先”(きもとたけさき)
私たちが山で篠竹や粗朶(そだ)木を束ねる時、篠竹を切り取り、その竹の先に鎌の刃を入れ元の方へと割き、その割いた竹紐で束ねます。
また、雑木など切り倒した木は、40cmほどに切り、根元の方を上にして、鉈(なた)の刃を入れます。
このように、竹と木ではその割り方が違い「木元 竹先」といわれています。
雑木林のようすを見てみましょう。
手入れ前の雑木林 | 手入れ後の雑木林 |