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| 現在までの活動 2005年10月その1 (最終更新日:2006/10 レポート:京) |
| ■慰霊の旅へ ポンナレットは15歳で日本へ来た時以来、カンボジアへ行くのは今回で3度目になる。 1度目は長男を産んだ直後、2度目は2001年にまだ小学生だった2人の子供を連れての家族4人での旅行だった。 プノンペンの実家だった家、アンコール遺跡めぐりもして、それは楽しく充実した旅だった。 しかし、本当に行きたい場所には、今まで行かれなかった。 それはお母さんとマオ姉さんと妹のナエットが眠る場所。 トノート村。 ある日突然連行され、殺されたのかもしれない…、という曖昧で哀しい別れをした場所。 |
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今回数十人の支援者と共に、トノート村へ訪れることになった。 主な参加者: トリアソー村の御住職とお坊様2人、シェットおばさん、トリアソー村の村人15人 フリーライター奥野氏、朝日新聞記者、ポンナレットの娘(中学1年)、中村氏、京 ←トノート村の慰霊塔の前で撮影。2006年10月3日 |
| シェットおばさんは、ポンナレットのお母さんのハトコにあたる人。 ポンナレットはシェットおばさんとはトノート村で初めて会ったらしい。 シェットおばさんはトノート村で、旦那さんと幼い子どもを亡くしていて、 辛く厳しい時期を、ポンナレットと同じような立場で乗り越えた人。 トリアソー村はオーク姉さんが亡くなった村。 2001年家族で訪れた際にオーク姉さんの供養でお世話になった御住職がいた。 30代半ばで若いが、優秀で人徳のあるお坊さんだそうで、今はアメリカでいくつかお寺を開いているらしい。 今回の慰霊の旅にあたり、ポンナレットが何度かそのお坊さんに電話で助言を求めたところ 「ポンナレットお姉さん、それはぜひやるべきです。 お盆の時期なので私は行かれませんが、コンポンチャムにいる弟子を行かせましょう」 と言ってくれたそうだ。 現在のトリアソー村の現在の御住職と、賛同してくれた村人15人がシェムリアップまで来てくれた。 ほとんどの村人が40歳以上で、その方々に「ポル・ポト時代に親兄弟を亡くした方はいますか?」と質問すると 40歳以上の人は全員手を上げた。 |
| ■トノート村へ 10月3日朝4時、女性達は全員起きてご飯を炊く。 お盆には托鉢用のご飯を持参することが欠かせないそうだ。 朝7時すぎ、シェムリアップを出発。 10時、トノート村へ到着。 着いた時、ポンナレットは、大粒の涙を流していた。 数時間後、こう言っていた。 「国道6号線からトノート村への小道を入った途端に、思い出したくない日々を思い出した。 心臓が突然早くなって、何も考えられなかった」 |
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慰霊塔の四方を周り、お線香を上げる。 25余年経って、ポンナレットさんの願いだった、お母さん、お姉さん、妹に会いに来れた。 お母さん達も喜んでくれているに違いない。 シェットおばさんや、参列者のおばあさん達も泣いている。 どこかで亡くなった家族を思い出しているのだと思う。 ←(写真)左からシェットおばさん、ポンナレット、真輝ちゃん。 |
| トノート村のお坊さんはお年を召した方が2人、あとは10代の小僧さんばかり。 私たちがお連れしたコンポンチャムのご住職が上座にあげられ、お盆の指揮を取る。 読経、托鉢、お坊さんの食事、私たちの食事という通常の流れでお盆の行事は進む。 |
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13時すぎ、いよいよ話し合い。 コンポンチャムのご住職を中心に、トノート村のご住職、お坊さん、村人が集まる。 ポンナレットさんの願書(慰霊塔の遺骨を火葬したい)、 1年前にストウン郡長から頂いた許可書を ご住職が読み上げる。 1年前に訪れた時と変わらず、 村人たちは「あの慰霊塔はそのままがいい」と言う。 現政府が25年前に作るように命じ、今も保存するように言われている慰霊塔。 それを火葬(破棄)することは現政府へ反することだと思う人が多いようだ。 |
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トノート村のアジャーが、1人の村人を呼んだ。 あるおじいさんが「以前畑から遺骨が出てきて、そのまま捨てるには忍びないので一箇所へ埋めた」と言う。 その遺骨を頂けることになり、そのおじいさんの畑へ。 田んぼの中を裸足になって進む。 |
田んぼを越えた先の空き地の一角をおじいさんは掘り起こし始めた。 約5分後、ビニールに包まれた遺骨が。 大きさから腕や大腿骨と思われる。 ポンナレットさんからまた、大粒の涙が。 「この遺骨を母や姉や妹と思います、葬儀を執り行わせて下さい」 その場でご住職が読経をあげてくれる。 シェットおばさん、参列者のおばあさん達も泣いている。 |
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お寺に戻ると、村人からさらにビニールに包まれた遺骨が届けられた。 コンポンチャムのご住職の指揮で、簡易の葬式が執り行われる。 ポンナレットと真輝ちゃん、シェットおばさんの手で遺骨を丁寧に水で洗い、 トノート村のアジャーたちの手で丁寧に棺に納められる。 読経が約1時間半。これは簡易の葬式だそうだ。 明日、正式な葬式を執り行って頂けることとなった。 |
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16時、トノート村を後にし、シェムリアップへ戻る。 今回トノート村へ行くのに際し、一番心配だったのはポンナレットの心だった。 10歳半〜14歳の前半、苦しい苦しい3年間半を過ごした村。 お母さんとお姉さん、妹を殺された村。 そのトノート村へ行くだけでも、苦しくないはずがない。 だが帰り道、ポンナレットは笑顔だった。 遺骨を一部だが頂けたことが、彼女の心を救ったのだと思う。 「心が軽い。あの村へ行って私がこんな気持ちになれるとは思わなかった」と言っていた。 彼女が笑顔で帰れたことが、なによりも嬉しい。 ←(写真)簡易の葬式後、ポンナレットの挨拶 |
2005年10月慰霊の旅 その2へ つづく |