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現在までの活動 2005年10月その2    (最終更新日:2006/10 レポート:京)

■葬儀・火葬

10月4日7:50、トノート村着。

お寺のすぐ前に、お寺と同じくらいの大きさの特設テントが作られていた。
すごい人。
出家に準じるおじいさん・おばあさんだけで100人くらい、村人の参加者は増える一方で、
葬式の頃には100人を越え、総勢200以上。さらに子供が20〜30人走り回っている。
特設テントからはみ出して座っている状態。

8:40、葬式。

読経の響く中、トノート村のアジャー達が棺に水をかけたりロウソクの火を回したり、色々な儀式を執り行う。

後から聞いたのだが、村のアジャー達は夜通し線香をたやさず、遺骨を護ってくれたらしい。

彼らはポル・ポト政権時、いいなりになって強制移住させられたプノンペン市民を虐待した世代。
罪悪感からだろうか?

←(写真)棺をアジャーが囲み、読経をあげる

9:00、火葬。

火葬場は寺から少し離れた野原。

お坊さんが読経を上げながら、慰霊塔の周りを3周歩く。

お坊さんの後を棺、親族が続き、村人も付いて歩く。

在家(出家してない人)は全員白い布を頭にかぶる。


子孫である真輝ちゃんが白い布をかぶり、わらで編んだ紐で棺と結ばれる。
そのまま棺を引いていく。
(実際はアジャー達が棺を持ち上げて運ぶ。)

火葬場まで、子孫が遺骨をお連れするということらしい。

火葬場は村の中央から少し離れた広い場所。
読経が続く中、ポンナレットと真輝ちゃんによって火が付けられる。
一度火が付いたら、しばらく離れる。

伝統的な葬儀、火葬が執り行われた。



 

10mほど離れた場所で、別の儀式が執り行われた。
ポンナレットさんの髪をおろす。

親が亡くなった時、子供が髪をおろすという習慣らしい。
ポンナレットさんが自ら進んで望んだ儀式だ。

神妙な面持ちで髪をおろされるポンナレットさん。
瞬き一つせず、地面をみつめていた。
何を思っているのだろう?

真輝ちゃんが「え?全部剃っちゃうの?」とビックリした様子。
同行した日本人協力者もビックリ。
髪をおろす件は、誰にも内緒にしていたのだ。

頭を剃った後、コンポンチャムのご住職や村人たちに囲まれ、火葬が終わるまでしばし談笑。
ポンナレットは笑顔だった。
この村でこんなに晴れ晴れとした笑顔になれるとは、いったい誰が予想していただろう。

日本にいる時、トノート村をこう語っていた。
「恐怖の場所」「二度と足を踏み入れたくない」

戦争を知らない日本人だからこそ出来ることがあると思って、日本で始めた『色のない空基金』。
でも日本人の私たちの出来ることなんて、本当に限られている。
彼女に何て声をかけたらいいか分からず、立ち尽くしてばかり。


火が付けられて小1時間、火葬が終わる。

遺族やアジャーによって遺骨は拾い集められ、
お寺に置いてある骨壷へ納められた。


帰る前に、トノート村のお坊さんやアジャーに、
「もしあの慰霊塔の中の遺骨を火葬してもいいという機会があったら、必ず連絡下さい」
とお願いして帰った。

トノート村にある慰霊塔は、遺族からみれば慰霊塔ではない。
『展示塔』だ。
一部ガラス張りになっていて、遺骨が並べられている。

本当はこの遺骨も火葬か土葬か、カンボジアの伝統的な葬儀を執り行いたい。
しかし、今はトノート村の村人達の許可がもらえなかった。
無理もない。現政府が遺骨の保存を命じているのだから…。

「いつか時代が変わった時、かならず迎えに来ます」
今回の葬儀によってひと段落したばかりだが、
ポンナレットは気持ちを新たにしていた。


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 つづく