| 年月日 |
活動内容 |
2004年10月 カンボジアお盆
詳しいレポートは →こちら |
●日本人協力者が、トノート村に訪れました。
ポルポト政権が倒れた後、現政権の命によって亡くなった方々の遺骨が村人によって掘り起こされ、 プノンペンのキリングフィールドと同様の慰霊塔が建てられました。 一部ガラス張りになっていて、遺骨は展示されている状態です。 この時は現状を調査したのみに留めました。
●日本人協力者が、トノート村を管轄に治めている郡長(日本で言う市長)の元を訪れました。 慰霊の趣旨などを説明し、遺骨を掘り起こし、火葬、遺灰をプノンペンへ移送する許可証を頂きました。
|
2005年4月 カンボジア正月
詳しいレポートは →こちら |
●日本人協力者が、トノート村に訪れました。 トノート村のお寺にて、葬式はいつでも開く準備はある。 しかし村人からは「遺骨はこのままが良い」という意向を聞きました。 (つまり火葬もプノンペンへ移送もしない方が良い)
|
2005年6月
詳しいレポートは →こちら |
●プノンペンのワット・ランカーのお坊様にお会いしました。 ワット・ランカーはポンナレットが幼少の頃通ったお寺です。 集合墓もあるので、遺骨を預かって頂けるようお願いし、許可を頂きました。 |
2005年10月
詳しいレポートは →こちら |
●ポンナレットがトノート村へ訪れ、一部の遺骨を頂き、葬儀、火葬を執り行いました。 ●ワット・ランカーの集合墓に遺骨を一時的に預かって頂きました。 |
2006年1月
詳しいレポートは →
こちら |
●2006年1月、ワット・ランカーに慰霊塔を建てました。 お墓の中は絵で装飾され、仏像も安置され、伝統的なお墓が完成しました。 |
2006年6月
神奈川新聞記事は →こちら 詳しいレポートは →こちら |
●ワット・ランカーにて3日間に渡り納骨の儀式を執り行いました。 延べ約百人のお坊様と、約三百人以上の参列者の読経により、 ポンナレットの母姉妹を含む約七千人の犠牲者の供養を致しました。
|
2007年6月〜9月
詳しいレポートは → こちら |
●2007年6月、国賓として来日中のフン・セン首相にお会いし、 「両親・兄弟はじめ、プロン丘にて集団虐殺され、慰霊塔に保管されている7000名の同胞の遺骨を火葬したい」 という要望書をお渡しすることが出来ました。
2007年9月、在日カンボジア大使よりお返事を頂戴致しました。
|