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現在までの活動 2006年6月その1    (最終更新日:2006/10 レポート:京)

■納骨式

カンボジア各地に「慰霊塔」と呼ばれる塔がある。
そのほとんどがガラス張りで、中には遺骨が並べられている。
遺族からすればそれは「慰霊塔」ではなく、『展示塔』。
本来の伝統的な土葬・火葬とは大きく異なる。
「カンボジアで歴史的な大虐殺があった」と世界に分かりやすくアピールし、
世界中から経済援助を受けやすくするという政治的な道具になっているという側面は否めない。


ポンナレットは2004年8月に色のない空基金を立ち上げ、
2005年10月にトノート村の遺骨の一部を頂き、葬儀・火葬を行った。
そして2006年6月、プノンペンのワット・ランカー(寺院)に慰霊塔を作り、
納骨の儀式を執り行うこととなった。

「ポルポト時代に亡くなった私の家族、そして多くの犠牲者を慰霊したい」
十数年抱いていたポンナレットの願いが、やっと形になった。



■ワット・ランカーに完成したお墓

ポルポト時代に亡くなった人の多くは、プノンペンから地方へ強制移動させられたプノンペン市民。
「プノンペンへ帰りたい」と強く願っていた方々の魂を慰霊するために、お墓を作るならプノンペンに作りたかった。

そこでまず訪れたのがワット・ランカー(寺院)。
プノンペンの中心地にある大きなお寺で、カンボジアでも有名な寺院の一つ。
ポンナレットが子供の頃からお母さんに手をひかれて何度となく通ったという寺院で、
ポンナレットの思い入れが強い寺院でもある。

すでに寺院内に建てるお墓のスペースはどこもいっぱいで、片隅の小さなスペースしか空いていなかった。
でもお墓は立派である必要なんかない。
魂が安らげる場であればいいのだ。
他にも野ざらしになっている遺骨や、いつか『展示塔』に飾られている遺骨を火葬できる時がきたときのために、
永遠に収容できるような集合墓を作りたい。

ワット・ランカーのご住職に相談して、この土地を頂けることとなったのが2005年10月。
そして2006年6月、納骨の儀式を執り行うことができました。

このお墓のための土地の取得、建築は、色のない空基金によって建てられました。

■納骨の儀式の前夜(2006年6月24日)

納骨式の前日にあげる読経があり、ワット・ランカー(寺院)にて執り行いました。


主な参加者:
アメリカの寺院の御住職とお坊様2人、トリアソー村の御住職、ワット・ランカー(寺院)の御坊様10数人、シェットおばさん、レットおばさんなどポンナレットの親戚、トリアソー村の村人10数人、
プノンペン在住の協力者数人、
神奈川新聞記者、フリーライター、近藤氏、中村氏、京。

夜遅くであるにもかかわらず、多くの方にご参加いただき、
御坊様40〜50人、参列者120人ほどになりました。

今回の参列者の中で一番遠くから駆けつけてくれたのが、アメリカからこの納骨の儀式のために来てくれた御住職。
(右上写真の一番右端(一番上座)に座っている、色の濃い佛服の御坊様)

2001年ポンナレットさんが家族旅行で、オーク姉さんが亡くなったトリアソー村へ行った。
その時オーク姉さんのために読経をあげてくれたトリアソー村の御住職(当時)。
その後アメリカでお寺をひらき、アメリカだけでなくトリアソー村、プノンペンの縁の寺の改装などに力を入れているそうだ。

1年前、ポンナレットさんが電話で相談した際、賛同してくれて、
2005年10月はアメリカでのお盆があるので行かれないが、代わりに弟子のトリアソー村のお寺のご住職をご紹介してくれた。
そのアメリカの御住職が納骨の儀式にあわせて、自費でカンボジアへ来てくれた。



早朝に成田を発ち、19時にプノンペン空港に到着したポンナレット。
そのままワット・ランカーへ向かう。

20時、すでに多くの参列者が詰め掛ける中、読経が始まる。

2時間ほどの読経。
カンボジアの読経はお坊さんだけでなく、参列者が唱える文句も多い。
子どもからおじいさん・おばあさんまで、ほぼ全員がそらで覚えている。
ポルポト派のせいで10歳までしか学校に通っていないはずのポンナレットでも
ほとんど唱えることができる。
仏教が生活に染み込んでいるんだなぁと、改めてカンボジア人の敬謙深さを感じた。



お坊さんの読経が終わると、最後にポンナレットの挨拶。

「ポルポト派の時代、多くの人の命が奪われました」

「今回はトノート村で失われた7000人の方々の慰霊です。私の母と姉・妹を含みます」

「今回無事に慰霊を執り行うことが出来ました。
 多くの日本人が寄付してくれて、多くのカンボジア人が賛同してくれて、
 今日も多くの日本人、カンボジア人の親戚・友人たちが仕事を休んで駆けつけてくれました」

「ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。何度でも言わせて下さい。ありがとう」

「これからも平和を守ることの大切さを広めていきたいと思います」



あとから新聞記者の質問に対してポンナレットが答えていたこと。

「今回の参列者には田舎の人が多いです。
 田舎には情報がない。たまにプノンペンに行った人が持ち帰る新聞を読むだけ。
 だから今でも世界で戦争があることを知りません。
 カンボジアに内戦があったことは知っていても、今でも戦争があることを知らないのです。
 平和は守り続けようと心がけなければ守れません。
 だから今回の私の問いかけによって、彼らは村に帰ってから子や孫に話をしてくれるでしょう。
 こうして平和の大切さがカンボジアで広まってくれたら、とても嬉しいですよね」



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 つづく