ご 由 来

(絵図:江戸時代の須賀港 ・ ご祭神のえびす様 ・ 明治時代の例大祭)

主祭神: 大山祇命 ・ 事代主大神

◇大山祇命 (おおやまづみのみこと)

清浄なることを尊ぶ神さまで、悪しき災難を退け、直き正しき心身をお守り下さります。

あらゆる「厄災」を退け、心身健康病気治癒など身体健全のご神徳があります。

◇事代主大神 (ことしろぬしおおかみ)


別名「えびす様」で親しまれ大きな鯛を抱かれた福徳円満のお姿から「開運」を導き、

商売繁昌や豊漁豊作をはじめ、諸産業の繁栄のご神徳があります。古くから皇居の

八神の御一柱としてもお祀りされており極めて尊厳の高い神さまです。

= お宮の豆知識 =

日本最古の書物「古事記」や「日本書紀」など文献から、大山祇命様と事代主大神様は、それぞれの

娘さまが皇室へ嫁いでることが記されてます。現在も皇居では御縁(みゆかり)のある神さまとして

宮中神殿にお祀りされてます。良縁成就と安産、子孫繁栄や家庭円満にご神徳のある神さまです。




= 御  創  建 =

古代の人々が(1000年以上前)、この地に足を踏み入れ漁業を中心とする生活基盤が

できた頃といわれておりますが、文献などもなく定かではありません.古文書や江戸時代に

編纂された「新編相模国風土記稿」などから平安時代(794年〜)当地は「須賀のから浜」と

呼ばれ、「薬師三島明神の本地仏なり長一尺五寸弘法の作と伝」と記されています。当時は

神仏習合の時代でありご社殿に神さまと本地佛薬師を祀られてることが分かります。そのことから

すでにこの時代には人々の信仰を集めており、時代と共に港町として発展し戦国時代の永禄

9年(1566年〜)には、大名の小田原北条氏から魚類や船運業の集散地として手厚い保護を

うけ、江戸時代(1600年〜)には幕府公認の江戸の七浦港として相模国(神奈川県)の穀物と

資材等を江戸や千葉の房総半島へ運搬する海運業の要所として栄えました。当神社も港町の

総鎮守として住民はもとより魚商業や回船業の商人や旅人から多くの崇敬を集めました。

江戸時代半ば(1670年〜)には「須賀千軒(すかせんげん)」といわれるほど商店や民家が

増え、相模国の海運・海路の玄関口として大いに発展しました。特に大山など山岳信仰が

盛んになると、江戸や伊豆、房総半島から大勢の旅人が船で須賀港に寄港し、当神社へ参拝し

道中の安全と心身の守護を祈願する慣わしがありました。現在も港町の総鎮守として「明神さま」

「湘南のえびす様」の御名で親しまれ、お店や会社の商売繁昌、家庭の家内安全など家庭円満

や目標達成をもたらす神社として多くの方々から厚く信仰されてます。現在は湘南ひらつか七福神

一社として初詣や各祭礼をはじめ、人生儀礼など大勢の方々からご参拝を頂いております。


江戸幕府 提出帳文 天保6年(1835年)

(江戸時代に幕府へ提出した文献記録より)

一 祭礼。定日ハ隔年九月二十九日。 神輿村中巡行之上浜下ニテ、 即日相済申候。

規式ノ起コリノ義、相分カリ不申候。但、別当ハ、檀林学頭、本寺之格ニテ供奉仕候。

尤モ、休年ハ、護摩法楽。神楽計リニ御座候。又、毎年六月朔日、社頭ニテ、大般若経転読仕候。

其他、年中数度、祈祷法楽仕国家静謐奉祈候。 

(この時代も祭礼に国家安泰を祈り、神輿は村を巡行し浜降りや神楽を行っていたことが伺える)


= 境 内 社 (けいだいしゃ) = 

(様々なご利益のある神さまが境内におまつりされています)

 伊邪那岐社 (いざなぎしゃ)
  子 宝(国 う み)の 神 さ ま
 弁 天 社 (べんてんしゃ)
  財 運 ・ 芸 能 の 神 さ ま
 厄 神 社 (やくじんじゃ)
  子 供 の 病 よ け の 神 さ ま
 石 神 社 (いしがみしゃ)
  健 康 長 寿 の 神 さ ま
 忠 魂 碑 (ちゅうこんひ)
  英 霊 を 称 え る 祈 念 碑